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フランサフリック情報ネットワーク

フランス=アフリカ関係/フランコフォニーを考えるためのブログ

   
カテゴリー「フランサフリック」の記事一覧

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フランス製セキュリティー

Billets d'Afrique et d'ailleurs 195号(2010年10月)

イラク政府は、1年約十万ドルで更新できる契約をフランスの民間警備会社ガリス(Gallice)と初めて結んだ。これは、バグダッドにある外務省の出入口のセキュリティーのための契約である(AFP通信、9月2日)。
 
GIGN(国家憲兵隊治安介入部隊)の隊長で元司令官のフレデリック・ガロワは次のように豪語した。「フランスの産業にはセキュリティー部門がないといわれていますが、今回の契約は、フランスがアングロ・サクソンに独占された部門の中で競争し、戦略的な市場を獲得できることを示しています」。
 
2007年に設立され、パリに本社を置くガリスは、とりわけガボンとモーリタニアでの公共契約に意欲的である。
 
少なくとも、防波堤(※1)であるこれらの国々(※2)では、アングロ・サクソンとの競争はない。
 
訳注
※1フランサフリック・ネットワークの防波堤(pré-carré)、即ち、アフリカにおけるフランスの対外戦略の拠点を意味する。
※2ともにフランス語圏。
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アメリカ当局から見たフランスのメディア

Billets d'Afrique et d'ailleurs 198号(2011年1月)

ウィキリークスが明らかにした、フランスのムスリム・コミュニティーを分析したアメリカ当局の公電は、フランスのメディアを手短に概括している。ACRIMED(アクリメド)(訳注:マスメディア報道を批判的に検証するフランスのNPO組織)が指摘する以下の3つのパラグラフが、とりわけフランスにおけるフランス=アフリカ問題のニュースの取扱い考える上で有効な材料である。
 
17.フランスの主要なジャーナリストたちはしばしば、多くの政府高官たちと同じエリート学校の出身者である。彼らは必ずしも、自分たちの第一の役割が政府を監視することだとは思っていない。おまけに、彼らのうちの多くが知識人を自任し、出来事を報告するというよりむしろ、それを分析し、読者に影響を与えることを好む。
 
18.フランスのメディアの民間部門(新聞、TV、ラジオ)はコングロマリットによって支配され続けており、アメリカのメディアよりも一層、政治的・商業的圧力に縛られ、従っている。1989年に創設されたCSA(視聴覚高等評議会)は、各テレビ局や公営ラジオ局全体のリーダーを任命し、報道される政治的な内容を監視している。
 
19.こうして、インターネットへのアクセスは、特に若い世代を中心として広がっており、急速に伝統的なメディアに代わるものとなってきている。主要なテレビ局およびラジオ局の全てが、主な新聞社と同様にそれぞれのインターネット・サイトを持っている。ブログはマイノリティやNGO団体にとってのポピュラーなコミュニケーション手段となりつつあり、伝統的なメディアでは伝えられないとみなされている、意見・見解を表明するために使われている。

治安維持:「世界中に認められたフランス式ノウハウ」

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Billets d'Afrique et d'ailleurs 200号(2011年3月)

先々月の1月11日、ベン=アリー当局へフランス式「ノウハウ」の導入を提案したミシェル・アリヨ=マリーは、フランスの軍事協力が無くてはならないと何度も繰り返した。
 
死者が既に52人にのぼっている時に、ベン=アリー体制の抑圧的な暴力を罵ったミシェル・アリヨ=マリー外務大臣(当時)――元国防大臣――は、議員やテレビ・カメラを前に、犠牲者たちへの心からの同情を熱心に表明した。「世界中に認められた私たちの治安部隊のノウハウが、この種の不安定な状況を解決できることを示せば、私たちが求める政治の正当性が明らかになります」。
 
こうした反応が今後も受け継がれるとすれば、それは何よりも、デモ参加者たちが最終的に、我々の指導者たちに期待されたやり方では全くなく、ひとつのより良い方法によって「不安定な状況を解決する」ことに成功したからだろう。彼女の反応が呼び起こした抗議の声は、チュニジアの革命家たちへの共感と連帯を含んでいるために、当然のことながら明るいものといえる。しかし、それはまた一方で、フランスの「治安」協力への無理解あるいは習慣的な無関心を示してもいる。
 
ミシェル・アリヨ=マリーは、フランスが遥か昔から行ってきたことや、こうした政策に対するフランスの高慢ぶりが、とりわけ国防省や外務省の刊行物の中に数多く存在しているということを以前から何度も繰り返していたのだから、自分の言葉に対する人々の反応に、彼女自身が誰よりも早く気付くべきだった。
 
植民地の遺産の……
 
独立が相次いだ時期、つまりフランスが旧植民地の軍隊の養成を引き受けていた頃、フランスの軍事協力は、一方では伝統的な軍事力や特殊部隊(大統領あるいは「共和国」衛兵隊、諜報・非合法活動機関、自警団、死の部隊など)の養成を目的としながら、他方では、人々を監視するための技術や教義も提供していた。
 
「革命的」または「治安戦」と呼ばれる戦争の理論と実践の直接的な基礎となり、「内なる敵」や「破壊分子」との戦いという問題を中心的課題とするこの養成法は、フランス憲兵隊のシステムと瓜二つの、アフリカの憲兵隊の発展を支えている。それは、警察活動や諜報活動を同時に行い、万一の場合は「軍隊に昇格」する――つまり、軍事手段に訴える――ことができるために、特に強力な存在と見なされている。
 
戦時下のカメルーンでUPC(カメルーン人民同盟)の反徒たちに対して憲兵隊を率いた後、経験豊富なメトリエ中佐は彼らをガボンに配置する責任者となっている。その他のフランサフリック・ネットワークの独裁者たちも彼に従うことになるだろう。
 
治安部隊と……
 
それがアフガニスタンに送られた占領軍であろうと、他国の当局への軍事協力であろうと、フランス憲兵隊の士官たちは、まさにフランス軍の植民地経験があるが故に、自らが提供する活動に、例えばアメリカが提案した軍事協力について、「治安維持のための否定できない新たな価値」(※1)を見ている。
 
これについては、既に明らかになっているいくつかの事柄があり、『ビエ・ダフリック』(訳注:スュルヴィの機関紙)でも言及されたものがある。例えば、1995年に協力省は、「多くの国々における犯罪と社会不安の増大」(※2)の名において、アフリカの警官隊と憲兵隊への支援拡大を正当化していた。
 
2000年にも、憲兵隊は、「治安維持」(※3)のためのアフリカでの軍事協力の「優先的な軸のひとつ」に定められている。さらに、カメルーンにCPTMO(治安維持技術改良センター)と名付けられたENVR(地域密着型の国立学校)(※4)が創設されたのはこの年である。この組織の存在は、少し後に、正確には2008年のカメルーンでの反ビヤ(訳注:大統領)暴動が起こった年に、フランス軍によって正当化された。フランスの軍事協力を扱う雑誌『フレール・ダルム』261号(2008年)には、次のように書かれている。「絶え間なく拡大する都市化とともに、街の通りは徐々に、秩序と無秩序とが対峙する特殊な空間に変化した」。既に知られているように、「無秩序」な兵士たちによって、数十人の死者と無数の逮捕者が出ている。
 
2004年8月、フランスはガボンの独裁者とも協力協定を結んだ。当時の公式声明(※5)によると、協定の軸の一つは、「短期的あるいは中期的に国内で起こり得る全ての治安悪化を予防するために、機動力のある憲兵隊の能力向上を支援する」ことであった。
 
「今日フランスは、当初の目的とは大幅に異なったものを提供している」。『ル・モンド』紙(2月18日付)が最近このように我々に教えてくれたことは、フランスがバーレーンでの反体制運動を鎮圧する部隊を組織していたことである。さらに、「CRS(共和国機動隊)総局とともに4年前から行われている特権的協力は、悪質なデモ参加者だらけの島国で、対暴動部隊を専門化し、群集のコントロールをより良く行うことを可能にした。」と、(この協力に関する)報告書の作成者である、UMP(国民運動連合)のジャン=リュック・レイツァー議員は明言している。彼はまた、「スロヴェニア、アルバニア、イスラエル、あるいはリビアも、厳しく鎮圧される抗議運動に悩まされている」ことを例に挙げ、「フランスは当該国内の治安に関する協力協定を順調に推進している。」とも述べている。
 
その上、2009年3月16日以来、軍事協力政策は、内務省に置かれたSCTIP(警察技術国際協力部)の管轄下にあった、警察との特権的協力制度を公式に吸収した。
 
もっとも、これら2つの領域を併合し、フランス式「ノウハウ」の輸出を正当化する言説は、アフガニスタン戦争へのフランスの参加を正当化する、反テロを唱えるレトリックをその論拠としている。「我々の国から遠く離れた国の治安に直接的に影響を与える脅威が生まれ、増大しているという複雑な国際情勢の中で、国際協力は常により強力なものでなければならない」(『フレール・ダルム』2008年、258号)。情勢は複雑だが、思考は非常に単純なままである。
 
塗り替えられた人権
 
「革命戦争」の理論家や実践家に――とりわけ、「非対称戦争」または「人民戦争」といわれる紛争の際に――従いながらも、当然のことながら、フランスの軍事協力は今後も、自らの養成方針によって推進したい諸原則である、「人権の尊重」、「市民の尊重」、「法治国家の尊重」、「民主化の尊重」を大々的に宣伝することを決して忘れないだろう。
 
フランスの治安維持に取り組む哲学者はこう書いている。「治安を守ることと、個人の自由を尊重することとの間の適切なバランスを見つける必要があった。そして、治安維持の哲学は、デモ参加者とはもはや一時的に取り乱した市民などではない、というより今日的な概念に向かって発展した。それは、“人道的な治安維持”という概念の誕生である」(『フレール・ダルム』2008年、261号)。しかしこれは、現実には、頻繁に「取り乱した」民主主義の原則である。というのも、この場合の秩序というものが、不当で、専制的で、独裁的かつ不法なものとなり、人々の異議申し立てを受けて以降、「個人の自由の尊重」と「治安維持」とのバランスなど明らかに不可能になっているからである。
 
実際のところ、フランスの軍隊にとって重要なのは、ただ単に、その役割は十分に維持しながらも、あまりに暴力的な鎮圧に公然とは参加しないということだけである。つまり、とりわけその「防波堤」の外側で、フランスの軍装品や治安任務を売ることによって――即ち、商業的なロジックも用いて――現体制を支援し、『防波堤』の内側で、影響力があり、その上介入的な政策を続けることである。
 
こうした放蕩ぶりがほとんど目立たないように協力は続けられている。例えば、2009年9月28日にコナクリ(訳注:ギニアの首都)のスタジアムで起こった虐殺事件の後、フランスの軍事協力は(一時的に)停止された。しかし、メディアではほぼ扱われなかった、2008年2月のカメルーンでの鎮圧事件の際はそうならなかった。マダガスカルでも同様である。『フレール・ダルム』(2008年、261号)は、「(2千)ゼロ年代に起こった事件に鑑みると――筆者注:残念ながら2009年にも繰り返されるが――、治安維持および介入という概念の下で問題に取り組む必要性があるかもしれない」と指摘するにとどめていたが、憲兵特別部隊の養成は続けられている。そしてジブチでは、「高度に実戦的な」150名の部隊が、「治安維持および介入」のために「ゲリラ戦術に関するフランス人の専門家、パシェコ幕僚の援軍を受け入れた」(『フレール・ダルム』2008年、253号)。
 
独裁者のための暴力選挙
 
フランスは、「フランス好きの」アフリカの指導者たちに、彼らが再選された「妥当な」選挙結果を公表するようにそそのかすと同時に、さらに、「選挙後の危機」(つまり、選挙におけるいくつかの不正行為に対する暴動)をコントロールするための軍隊の養成という特務を自らに課してきた。だからといって、「国際社会」の無反応を利用するために必要不可欠な、虐殺という手段に訴えることはしなかった。このあたりがまさしく、ミシェル・アリヨ=マリーからベン=アリーへの提案が意味するところである。
 
例えば、2005年にフランスは、チャドのイドリス・デビ政権に、「選挙前後の暴力行為」に対する対暴動特別部隊を組織した(※6)。その少し後、総選挙とそれに続く大統領選挙(軍事協力という用語が、公的開発援助から経費を支出させるために「選挙期間の安定化」という表現に置き換えられた)に向けて、トーゴの憲兵隊の養成と装備を強化してから、「大統領選治安部隊」(FOSEP)の編成任務を負ったフランスは、他のヨーロッパの国々のパートナーと共に「民主化プロセス」に貢献した。6000人の警官隊と憲兵隊からなるFOSEPは、フォール・ニャシンベ・エヤデマの「再選」(訳注:2005年4月24日)の翌日、同年に彼が起こしたクーデターという虐殺手段を繰り返すことはせずに、ジャン=ピエール・ファーブル(訳注:トーゴの反体制派の政治家)の支持者たちを彼に鎮圧させた。
 
この部隊の解散式で、2005年の虐殺事件に関わったアチャ・ティティクピナ大佐(治安・市民保護相)は、トーゴで行われた選挙の安定化は、CEDEAO(西アフリカ諸国経済共同体)の取り組みの一環であることを明らかにした(新華社通信、2010年4月24日)。
 
歴史の皮肉だろうか。1年以上前に『レットル・デュ・コンティナン(大陸通信)』(596号)は、パリとアビジャン(訳注:コートジボワールの都市)との外交関係が再接近していた頃、次のように指摘していた。「フランス軍は仲間のコートジボワール軍に、いくつかの無償の軍事養成を惜しみなく提供している。それは、秩序維持と群集のコントロールを実践するものであり、選挙が近い時期には大変有効で……」。(訳注:2010年、CEDEAOはコートジボワールの大統領選の結果を認めないとして、参加資格を停止した)
 
今日、フランス軍は奇妙なくらいこれらのことを話そうとしない。
 
(ラファエル・グランヴォー)
 
※1フランセッシ大佐「Recamp、PESDおよび憲兵隊という概念」『国防』7号、2005年7月.
※2『ムッシュ通り通信』(協力相発行)63号(1995年5月)より。コミ・M・トゥラボール著、「フランス:トーゴの独裁者の支持者」『ビエ・ダフリック』(122号、2004年2月)において引用されている。
※3 B・カズヌーヴ「軍事協力改革」『元老院報告書』(3394号)、2001年11月20日、p.56.
※4フランスは軍事協力措置の重要な要素となる、約15のENVRを創設した。
※5 V・セーグル「戦闘中のボンゴ」『ビエ・ダフリック』(140号)、2005年10月.
※6 2005年6月12日開催のチャドフォーラムにて。『ビエ・ダフリック』(137号)で取り上げられている。

論説:価値のない外交政策

Billets d'Afrique et d'ailleurs 200号(2011年3月)

チュニジアのベン=アリーとエジプトのムバラクという2人の独裁者を追放した、予期せぬものではあったがそれでも予測可能だった、人々による蜂起は、フランスの政治と、腐敗し専制的と見なされた体制との関係の恥ずべき側面のうちのいくつかを明らかにした。サルコジが言ったように、あらゆる国々とのなくてはならない外交関係が問題なのではなく、我々の政権担当者たちが貧しい国々の相応しくない指導者たちと築いた犯罪的な親交が問題なのである。
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こうして、フィヨン一家がエジプトで過ごした前回のヴァカンス(訳注:2010年末、ムバラクの招きで同国を旅行した)は、価値のないサミットのように歴史に残るだろう。我々の首相が、貧しい人々の汗と拷問された人々の血が染み込んだ贈り物を受け取っていたなら、彼は我々に筆舌に尽くしがたい恥ずかしさを押し付けていることになる。
 
フランソワ・フィヨンの惨めな弁明――今回の特別待遇を断ることは他国の名誉を汚すことであった、というもの――は、滑稽であると同時に軽蔑すべきものである。実際のところ、フランスを、明らかに最も腐敗した政権にとって欠かせない存在にする政治的妥協と、フランスの外交政策とを一つのものにすることで、我々がこれ以上堕落することはまずない。
 
ニコラ・サルコジは彼の大臣たちに、今後はフランスでヴァカンスを過ごすようにすすめたらしい。しかしながら、彼自身も2010年12月末、人権尊重国家の模範とはいえないモロッコで静養していた。我々が「我々の価値観」の名において非難すべきことは、権力との共謀関係を身を挺して築くことである。
 
外交という視点からみると、フランスは衰退しているようだ。難点は、それを嘆く人々が、それに最も一役買っている人々だということである。2月16日付の『カナール・アンシェネ』紙は、ミシェル・アリヨ=マリーの友人であるチュニジアの大金持ちが出資し、共同運営している地中海世界経済予測研究所(Ipemed)などという組織の存在を明らかにしている。元大臣のエリザベト・ギグ(社会党)はその後援団体を主宰し、彼女の夫(訳注:ジャン=ルイ・ギグ、研究者)はIpemedの代表を務めている。ユベール・ヴェドリーヌ(訳注:社会党の政治家)とアラン・ジュペ(訳注:事実上更迭されたアリヨ=マリーの後任として、2月27日から外相を務める)らも、有用というより間違いなく金になる、フランスの外交政策に寄生するこの組織に参加している。この2人は共にフランスの対外政策の責任者であった。ヴェドリーヌは病気のミッテランの傍らで大統領府事務局長を務め、ジュペは彼らが後ろ盾となっていた体制によって犯された、1994年のルワンダでのツチ族に対する大虐殺の際に外務大臣を務めていた。彼らがフランスの外交政策にとって最も好ましい看板ではないことが分かる。
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既に失脚した後の独裁者たちと縁を切り、勝利が確実になってから現場へ駆けつけることは、フランスにとって名誉なことではない。人々の目の前で崩壊してしまわぬよう、フランスが自身の無価値さを自覚することを我々は望んでいる。カメルーンの終身大統領ビヤにおもねるジュペとロカール(訳注:社会党の政治家/名:ミシェル)や、コンゴ共和国の罷免されない大統領サスヌゲソにへつらうトゥーボン(訳注:UMPの政治家/名:ジャック)らは、軍事力によって支えられた政権に忍従する国々における、フランスのイメージを大いに損なわせることに一役買っている。
 
犯罪的権力に媚びることによって、フランスの威信を失墜させることになる政策があり、また、政策の卑劣さと共謀ぶりが忠実に反映される外交人事もある。
 
ジャン=クリストフ・リュファン(元ダカール大使)のように、フランスの外交政策の悪習を暴露した(訳注:2008年12月、彼はセネガルの政治に批判的な発言をした)後で免職になる(訳注:2010年6月)のを待っていたのは――彼がフランサフリックのシステムを何も知らなかったとは思えないが――、政治的に勇敢だったというより、遺恨を持っていたからであるように思える。彼は人にへつらうというこの仕事を断るか、いずれにしても、彼に期待されていたことを彼が自覚した時から、この仕事を辞めていればよかったのではないだろうか。
 
崩壊しかかったベン=アリー政権の安定を主張したために非難を浴びたチュニジア大使のピエール・メナは、我々が知りたかったことをべらべらと喋っていた。彼の後任はもっと上手かった。2月16日に就任したボリス・ボワロンは、自分の横柄な青二才ぶりを晒すのに2日とかからなかった。彼は見苦しいほど謝罪しなければならなくなるくらい、チュニジアの報道陣を叱り付けた(訳注:ベン=アリーとアリヨ=マリーとの関係を質問したジャーナリストに対して)。ロミュアルド・レトンド中佐に続き(参照記事←未訳)、彼はアフリカにおけるフランスの役人の酷くかつ時代遅れな態度という変わらぬイメージを再現している。
 
フランスの外交政策は歴史に刻まれうるのだろうか?
 
(オディール・トブネル)

論説:荒廃したフランス帝国主義

Billets d'Afrique et d'ailleurs 199号(2011年2月)

10年以上前から、ある人々によって繰り返し囁かれる決まり文句。それは、フランスが人道的で純粋な自己犠牲によって植民地化に身を捧げた後、悲しい運命を背負ったアフリカを見捨てた、というものである。
 
さらに、合理的な一貫性を欠いた同様の事柄が、自由な種間競争という進化論を通じて決まり文句を繰り返していることに注意しよう。これまでの歴史の中で、ご立派な演説をひけらかすことはもちろん、自らの利害を追求することも全くない国が一つでもあっただろうか。それとは反対に、アフリカにおけるフランスの軍事力と私利私欲の存在が次第に目立ってきていることを認めざるを得ない。それは専ら、フランスの執拗な干渉が明らかにする数多くの言い間違いによるものであろう。完全に不透明で傲慢な嘘にまみれた時代はほぼ過ぎ去った。
 
民衆による暴動を上手に鎮圧するために、チュニジアのベン=アリー体制への警察による支援を提案したミシェル・アリヨ=マリー外相を誰もが糾弾した。しかし彼女は、人々による反乱の鎮圧のために警察権力を使う、友人である全てのアフリカの独裁者たちとつながりのある、今日のフランスの政治システムにおける右派に所属していた。彼女を誹謗する者はそのことを知っておいたほうがいいだろう。さらに馬鹿げているのは、サルコジが現在に至るまでその存在を無視していたチュニジアの人々を、彼自身が発見したことである。以前は、チュニジアと言えばベン=アリー彼一人であった。
 
サルコジからコートジボワールのバボへの馬鹿げた催告をどう考えればいいだろうか。彼がバボに48時間以内に退陣するよう伝えたのは1ヵ月以上前の話だ。このことが明らかにするのは、政治情勢の現実と、独断的なフランスの姿勢の時代錯誤ぶりへの全くの無知以外の何ものでもない。フランスは、無自覚に準備された危険地域に執拗に火花を撒き散らしながら、常に問題の近くにいようとする。コートジボワールは、専制的に物事が決定されるだけの場である。
 
フランスの政治はアフリカの人々だけを危険に陥れるのではなく、その高慢さのせいでフランス人たちの生活も犠牲にしている。敢えて言わなければならない。軍事介入がニジェールの誘拐された若者たちを解放する可能性など微塵も無かった。まして、それが反乱を抑えることなど論外である。
 
反対に、とんでもない法螺吹きの言葉を借りて「国土を恐怖に陥れる」と主張するフランスは、反乱を激化させることになるだろう。そこでは、国全土が破壊しつくされ、もはや手遅れになってから発見されるであろう、反乱を拡大した有害な腐植土を完全に無視する盲目的な政策が進められている。AQMI(イスラーム・マグレブ・アル=カイーダ機構)はどこにでも現れる悪魔でしかない。
 
中央アフリカ共和国は全てのアフリカの国々の中で、1960年から何十年もの長い間、フランスの影響力が最も強かった場所である。そのため、フランス人のマンシオン大佐が1980年代から事実上国を統治し、今日までの全ての大統領がフランス軍の支援にのみ自らの政権維持を委ねた。ブアールにあるフランス軍基地は公的に閉鎖されたが、これらのことは何も変わらなかった。それはまた、存在しないも同然の国家があり、権力の唯一の拠り所が軍隊であり、現地の資源の略奪が、地球上で最低なものの一つである、人類の発展の名の下で際限なく行われる国である。
 
任期の切れたフランソワ・ボジゼは、第1回投票の結果を受けて政権に留まり続けることになるだろう。そして、選挙への財政支援を行ったEUとフランスは「満足な」選挙結果だったと述べるだろう。それでおしまいである。今回のケースで、完璧に飾られた外観の支配を覆い隠すために、完全に沈黙しボロを出さなかった私たちはまだ幸福な暗闇の中にいる。
 
中央アフリカでは何も起っていない、と。
 
(オディール・トブネル)

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