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フランス=アフリカ関係/フランコフォニーを考えるためのブログ

   
カテゴリー「フランサフリック」の記事一覧

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2011年7月14日:軍隊がパリを行進し、大臣たちがアフリカを行進する

スュルヴィ(2011年7月13日)

arton4037-a0677.jpg2010年7月14日、フランスはアフリカ独立50周年を臆面もなく祝福し、歴代の政権が支援してきた様々な独裁者たちの部隊をシャンゼリゼ通りで行進させた。今年は、国外に駐留しているか、他国での軍事行動に参加したことのあるフランス人兵士たちが通りを練り歩き、敬意を受ける。時を同じくして、4人の大臣たちのアフリカ視察が行われる。このツアーは、コートジボワールと実入りの良い契約を交わし、ガボンの独裁者に永遠の支援を新たに表明するためのものである。
 
コートジボワールに駐留するフランス軍は、ローラン・バグボを失墜させた襲撃事件に派手に介入したことで有名になった。しかし、国連が彼らに委任した平和と人権尊重のための活動は全く行われることがなかった。もっとも、2004年の時点で既にフランス軍は、武器を持たない群衆を攻撃し、多くの犠牲者を出したために、信頼できる平和維持軍としての自らの立場を決定的に危ういものにしていた。スュルヴィは数年前からユニコーン作戦(訳注:フランス軍による、在留外国人の撤退を支援する作戦)を行う部隊の撤退を要求している。先日、サルコジ大統領が「コートジボワールでの軍事的プレゼンスを常に」維持し続けると断言したところではあるが、およそ10年前から行われているユニコーン作戦の役割は、議員調査委員会によって検討されなければならない。従って、スュルヴィはパトリック・ブラウエゼック(Patrick Braouezec)国民議会議員(訳注:GDR/左翼民主・共和主義所属)が、7月12日火曜日にこの点を要求したことを支持したい。
 
同じ日、議会はリビアにおけるフランス軍の活動の継続を議決していた。これまでの4ヶ月間の国外軍事行動とは異なり、今回からの決定は、議会での承認を必要とする憲法に従うことになる。スュルヴィはあらためて次の点を確認したい。まず、今日でもなおエリゼ宮(大統領官邸)だけの縄張りとなっているフランスの軍事行動は、完全に議会の管理下におかれる必要性がある。そして、フランスの議員たちに対し、ニコラ・サルコジによる極端な軍事介入主義に反対するよう厳命する。アフリカでは、2011年の初めから、コートジボワール、リビア、そしてサヘル地方(訳注:セネガルからスーダンにいたる西アフリカの地方)の国々にフランス軍が介入している。表向きには、テロとの戦いという口実の下での再軍備であるが、それは、資源のより良い管理を保障させるものである。
 
何人ものフランスの閣僚たちが、シャンゼリゼ通りではない場所で行われる行進に参加するのは明らかにそのためである。今回それは、7月14日から17日までの間に、アフリカの国々で行われる。実際のところ、フランソワ・フィヨン(訳注:首相)、アンリ・ド・ランクール(訳注:協力担当大臣)、ピエール・ルルーシュ(訳注:貿易担当大臣)、ダビド・ドゥイエ(訳注:在外フランス人担当大臣)たちのコートジボワール、ガーナ、およびガボン訪問は、フランスの大企業(MEDEF〔訳注:「フランス企業運動」←日本の経団連に相当〕およびCIAN〔訳注:「アフリカにおける投資家評議会」←フランスのシンクタンク〕の引率の下、アルストム社、ルジエ〔Rougier〕社、BNP・パリバ、トゥトン〔Touton〕社、セモワ〔Cémoi〕社、ボロレ・アフリカ・ロジスティック〔Bolloré Africa Logistics〕社、NCT/ネコトラン〔Necotrans〕社、トタル〔Total〕グループ、ラフォン〔Lafon〕社、テクニップ〔Technip〕社が参加)(注:『レットル・デュ・コンティナン(大陸通信)』、2011年7月12日号より)の経営者たちを同伴することになっている。
 
訳注:アルストム社:重電メーカー、ルジエ社:材木伐採業、BNPパリバ:大手金融機関、トゥトン社:プランテーション業、セモワ社:チョコレートメーカー、ボロレ・アフリカ・ロジスティック社:物流業、NCT/ネコトラン社:物流業、トタルグループ:石油エネルギー業、ラフォン社:石油エネルギー業、テクニップ社:石油エネルギー業
 
ニコラ・サルコジが、5月21日のポール・ブエ(訳注:アビジャン市内にある町)での演説で表明したように、コートジボワールでは、フランス企業の基盤をよりいっそう固めることと、専ら私企業を支援するAFD(フランス開発庁)による低利貸付および保証システムを完成させることが目的である。
 
ガボンでは、「不正蓄財」事件の裁判が行われているにもかかわらず、フランス政府は「不正な形で築かれた政権」の主要な助言者であり続け、チュニジアのベン=アリー以上に信頼できない政権の正当性を探し続けている。ガボンのお気に入りたちが6月9日にアメリカを訪問した際、フランス政府はホワイトハウスに対する不安に苦しんでいたことだろう…(注:ホワイトハウスでの記者会見が6月8日に行われた)。しかし、フランスにおいて、ガボンの体制が再検討されることはない。このことは、エルフ(訳注:Elf、トタル社のブランド名)事件で明らかになったように、とりわけ、ガボンを経由する諸政党からの金の流れに、長い歴史があることを意味している。最近では、2011年1月にウィキリークスによってアメリカ政府の公電が公表され、ボンゴ(訳注:ガボン大統領)一族とフランスの諸政党のために、中部アフリカ諸国銀行(BEAC)からおよそ2800万ユーロが不正流用された可能性が指摘されている。この公電によると、それに加え、さらに5億ユーロがBEACからソシエテ・ジェネラル(訳注:フランスの大手金融機関)に流れたとみられている。この金額は、ケルヴィエル事件(訳注:2008年1月に発覚した、ソシエテ・ジェネラル所属ディーラーのジェローム・ケルヴィエルによる不正取引事件。損失額は約49億ユーロとみられている)での損失を埋めるには十分過ぎるほどのもうけ物である。
 
数か月間にわたって行われるガボンでの国民議会議員選挙に際し、スュルヴィはフランス政府に対して、政策の刷新を行うことを要求するとともに、人権の擁護と民主主義の確立のために尽力する、アフリカの民主主義者たちと市民社会を支援する。
 
この「国祭日」におけるフランス政府の行動は、非常に象徴的である。彼らが新(しい)植民地の軍隊に敬意を表する間、経営者と大臣たちは、コートジボワールの新しい友人やボンゴ一族との饗宴に向かうだろう。アフリカの人びとはといえば、いつものように、宴からは遠ざけられ、フランスによって武装化され、支援された政権に監視されている。
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論説:正当な暴力

Billets d'Afrique et d'ailleurs 201号(2011年4月)

コート・ジボワールとリビアにおける、アフリカの人々の危機的状況をめぐる混乱の中で声を上げることは困難である。暴力を正当化する耳触りの良い文句がメディアによって喧伝される中、私たちは何を言うべきだろうか?

チュニジアやエジプトのように、人びとの奮起が脆弱な独裁体制を崩壊させる時、私たちはそれを――相変わらずあまりに多くの犠牲を払っているが――認めることしかできない。しかし、西側列強とも言いかえることのできる「国際社会」が、敵である国の軍隊と同じように、多くのプロパガンダを用いて、既存の政権に対する軍事介入によって人びとの解放をすすめているために、そうした人びとが、単に別の敵(最悪なもの)による支配を受け入れることになりはしないかと考えざるを得ない。

あまりに多くの人びとを抑圧してきた、また、今もなおそうし続けている西側の国々や、彼らが自国の利益のために熱狂的に支援している全ての国々は、どのようにして人びとを自由にすることができるだろうか?

別の角度から考えてみよう。エジプトとチュニジアは原料となる資源を持っていない。この二つの国々は、ある程度の戦略的利益しか持っていないのである。つまり、騒乱も放っておくことができる。

リビアとコート・ジボワールは莫大な資源を埋蔵している。必要な場合には、正当と言われる暴力によって騒乱をコントロールし、鎮圧しなければならない。なぜなら、事態は人びとが望むような形で、自然発生的に起こっていないからである。結果として内戦が始まる。そこでは、責任者としての各国政府が、何よりもまず、無視できない多数の抑圧行為をやめさせるためのあらゆる交渉手段を使わなければならなくなるはずである。しかし、それとは全く反対に、あらゆる手段によって紛争を激化しながら、それを楽しんでいるように見える。まるで紛争が期待され、待ち望まれ、準備されていたかのように…。

暴力の正当化は、常に人道主義的な様相で行われていく。それは、多くの西洋の国々が関与する戦争への参加を促すものである。これらの国々は、隠されてきたこれまでのあらゆる人道的な惨事についてほとんど知らない。なぜなら、それは彼らの国の名の下で行われた政策を再検討しなければならない危険性を持つものだからである。シニシズム的態度が一気に頂点に達したのは、1960年代終わりのビアフラ戦争(訳注:ナイジェリア連邦共和国東部州の分離、独立をめぐる戦争。)であった。そこでは、危機に瀕した人々を救助するという口実の下、フランスが多数の人命を奪う戦争と経済封鎖を数ヶ月延長し、犠牲者の数を大幅に増やした。明らかに正反対の意味として用いられているこの人道的という言葉は、ベルナール・クシュネルの非常に疑わしい指導力の下で、人道的介入主義の模範になるものとして考えられている。

ルワンダでのツチ族に対するジェノサイド(大虐殺)の犠牲者を救助するという名目で、1994年7月、フランスはジェノサイドを展開するルワンダ軍のザイールへの撤退を軍事的に援護し、紛争を終わりないものへと導いた。アメリカが指揮する連合軍によって、イラクとアフガニスタンで行われた「解放」戦争とは何だろうか? それは、これらの国々を紛争が横行する廃墟に変えてしまった。扇動され、維持され続けた紛争によるソマリアの荒廃は何を意味するだろうか? 今や、圧政に対して人々が団結して反乱を起こすのではなく、住民同士の利害対立となってしまっている。アフリカを荒廃させるいわゆる「民族」紛争の全ての原因は、武器を目いっぱい抱えた、そうした利害の「保護者」たちの行動にのみある。彼らはヒステリックな扇動者であり、予防のための爆撃や、その他の人道的に素晴らしい活動に躍起になっている。

同じ国の市民たちが互い殺し合うことにしか解決策がないという、こうした状況を作り出す術は、私たちが「講和」(平和にすること)というまやかしに認めているものの中にある。この言葉は、多くの人びとに対する最も徹底的な支配を支援するために、これまでに何度も使われてきており、その価値は汚されているといえる。

(オディール・トブネル)

アラン・ジュペへの公開状:フランス外交はアフリカ大陸全体の民主化要求を理解しなければならない

2011年4月2日

この公開状は、2011年4月1日付『ユマニテ』紙に掲載された。 

arton3935-dd19d.jpg今から4年前、大統領選挙と総選挙の前日に、フランスとアフリカの約30の組織が、フランスのアフリカ政策を責任あるもの、開かれたものにするために、候補者たちに勧告を出しました。独裁的で腐敗した体制と共謀する政治ではなく、民主的で人権が尊重される、市民の手による政治のために。チュニジアでの革命以降、こうした要求は非常に今日的なものとなりました。それは、フランス外交をいくつかの政権に再接近させ、それどころか、リビアへの軍事介入を行わせるほどです。

2007年、ニコラ・サルコジを含む主な大統領候補者たちが、「過去の」外交政策との決別という公約を競い合う中、私たちは既に、こうした民主化への要求が反響を、特別な反応を呼ぶだろうと考えていました。

現実には、地政学的、経済的関心から独占的な利益を得るフランス外交に対する、人々の無理解が増大していることを私たちは既に知っていましたが、それ以外に考えられることはありませんでした。政治干渉は頻繁に行われ、軍事的または経済的な介入があり、アフリカには大変評判の悪い植民地の遺物が残されました。破裂するまで悪名高い体制を支援し続ける「安定論」という危険な幻想を告発することで、私たちはフランス当局がこの問題に注意深く耳を傾けると心から考えています。
 
私たちは、活発に動く一部の市民だけでなく、何人かのジャーナリストや議員、さらには外交官や参事官たちの中に、耳を傾けることのできる人間がいることを知っています。
 
しかし、いつも私たちの言葉の意味を歪め、不当な事柄を正当化することしかしてこなかったフランス政府が、私たちに耳を貸したことは一度もありませんでした。つまり、ごく僅かな改革の後ろで、「解放されたフランサフリック」にかかわる何人かの人物によってリアルポリティックス(現実政治)が続けられています。
 
実際、リビア、ガボン、コンゴ共和国では政変が相次ぎ、昨年7月14日(フランス革命記念日)には独裁者たちがレッド・カーペットの上を歩き、彼らの軍隊がシャンゼリゼ通りを行進し、マダガスカル、ギニア、モーリタニアでの政治危機に対しては曖昧な態度がとられ、移民たちは非難を受けています……。これら全ては、専らフランスの経済的利益に因るものです。協力担当大臣がある時述べた、「アフリカの人々を助けたいですが、見返りが必要です」という言葉は、ニコラ・サルコジのダカール演説(2007年7月)が意図するものに近いでしょう。
 
大臣殿、私たちはフランスの「偉大」で「高潔な」アフリカ政策を懐かしんでいるのではありません。アフリカのフランス語圏の国々が「独立」してからの50年間を汚してきた、スキャンダルや罰せられない犯罪の数々が証明しているように、そのようなものは一度も存在したことがありません。全ては、非常に脆弱な土台――人々のあまりに多くの無理解――と脆弱な信頼関係の上で着々と行われています。
 
人々の間に架け橋を築くことで、また、人権、文民統制、汚職および移民取締りとの闘いのための共通の価値観と計画を擁護することで、フランスとアフリカの市民団体はこの問題に取り組み続けていきます。これは、フランスの民主主義のための取り組みでもあります。
 
以前に外務相と首相を務められたことのあるあなたは、国家の機構を良くご存知のはずです。1990年のラ・ボール(訳注:フランス西部)演説に反して、フランスは何人かの独裁者たちを全面的に支援し続けました。その最も悲劇的な一例は、ルワンダでのツチ族大虐殺を引き起こした政府を、政治的、経済的、軍事的に支援したことです。
 
認めなければならない過ちがあり、行わなければならない方向転換があります。
 
最近アラブ世界で進行中の解放運動へのフランスの支援は、アジョルナメント(現代化)の始まりであるかのように伝えられることがあります。リビア同様に、こうした状況に対する不当な介入が無関心によって起ったのであれば、運動は不完全なものとなるでしょう。特に、反乱の報道のされ方の度合や、期待される地政学的影響が、フランスの外交支援を左右するのであれば。
 
民主主義を称揚するフランス外交のこうした態度が、サハラ南部で続けられていることが大変懸念されます。そこでは、反乱が報道されないばかりか、人々の絶望が溢れています。
 
実際に、最近報道された介入、とりわけ、2月27日の介入の際、フランス大統領はサハラ南部の国々の情勢について一言も触れることがありませんでした。それらの国々の権力の大部分が非常に独裁的かつ抑圧的であるにもかかわらず。
 
しかしながら、ブルキナファソ、ガボン、モロッコ、モーリタニア、ジブチでは人々が立ち上がりはじめ、抵抗運動が、チャドやカメルーンなどの国家元首たちの不正な再選を防ぐために行われています。こうした人々には、フランス外交の見直しを求める権利があり、彼らは今日、アフリカの人々の民主化要求に答えるための、あなた方の具体的な取り組みを期待しています。これは、独裁者の失墜を今も期待し続けている人々を含む、アフリカに住む全ての人々の願いです。私たちは、フランス外交がこうした願いに答えてくれるだろうと、あなたを信用しています。
 
署名者
 
ギュスターヴ・マシア(経済学者「Cedetim/Ipam」)、ミシェル・ロワ(弁護士「フランスカリタスカトリック救援団」)、ファブリス・タリ(「スュルヴィ」副代表)、ブリス・マッコソ(「コンゴの司法と平和」)、クリスチャン・ムンゼオ(「コンゴ人権連合」)、マルク・オナ(2009年ゴールドマン環境賞受賞、「ブレイン・フォレスト」←ガボン)、アズィズ・マラス(「アタック・モロッコ」)、ジャン=ポール・ソルネー(「連帯市民」代表、「アクション・エイド」関連団体)、ジャン=ルー・シャール(「ジブチ人権尊重連合」代表)

サルコジによる聞き古された台詞

Billets d'Afrique et d'ailleurs 179号(2009年4月)

彼の最近のアフリカ訪問は、既に耳にしたことのある演説を聞く機会となった。それは、専ら経済的な目的を持った実用主義を誤魔化すための言葉の焼き直しである。手短に言うと、「獲物を狙うフランスというイメージを壊す」ことである。
 
最終的にニコラ・サルコジは、環境保護を、再利用(リサイクル)を朗々と謳い上げる大統領となる。例えば、キンシャサ(訳注:コンゴ民主共和国の河港都市)、ブラザヴィル(訳注:コンゴ共和国首都。コンゴ川を挟んだ対岸はキンシャサ)、ニアメ(訳注:ニジェール首都)を巡るアフリカ旅行の際、彼は2006年以来願い続けてきた関係修復を行った。あまりに有名な2007年のダカールでの演説では、自分が「新たな関係」の創設者であることを望んでいた。2008年2月、サルコジは南アフリカでも、フランス=アフリカ間の新しい「交流モデル」の基盤を提唱した。要するに、「フランサフリック」という過激な表現を避けただけのことである。そこにはどんな狙いがあったのだろうか? 奇妙なことに、彼は今年ニジェールで、フランサフリックが「SF(サイエンス・フィクション)」だったと表明した。
 
2009年3月26日、友人であり、アフリカ大陸で最も信頼できない指導者のひとりであるサスヌゲソ(訳注:コンゴ共和国大統領)の傍らで、彼は再び、「過去の重い苦しみ」や「疑い」を振り払い、フランス=アフリカ関係を「刷新」すると宣言した。「私たちは刷新された親交関係を共に定めなければなりません。絶えず不信や疑いの原因となる[中略]過去の重い苦しみ」や「不透明であくどいといった形で常に誇張される関係を振り払う必要があります」。彼はフランサフリックの歴史に鑑みながらこう述べた。口先だけでなく、行動すべきである!
 
つまり、彼が私たちに伝えているのは、専ら経済的な目的を持った実用主義を誤魔化すための言葉の焼き直しである。特に、ニコラ・サルコジのアフリカでの「新しい力関係」が、フランサフリックの犯罪的実践と断絶するという公約を完全に放棄する、これまでに何度も行われてきた儀式を意味することは明らかである。
 
従って、ここで重要な点、即ちビジネスについて述べよう。キンシャサ(訳注:=コンゴ民主共和国)では、とりわけ鉱山と交通機関に関するいくつもの協定が、フランスとコンゴ民主共和国との間で結ばれた。鉱山に関しては、「国内におけるウラン共同調査」を行うために、Gécamines(国営鉱山会社)とのパートナー関係を可能にする「鉱山省とアレヴァ社の協力協定」が、アレヴァ会長アンヌ・ローヴェルジョンと鉱山相マルタン・カブウェルル・ラビロによって調印された。
 
アレヴァは既に垂涎している。「この協定はアレヴァが莫大な資源を手に入れるための道を切り開く可能性を持っています。コンゴ民主共和国は何よりも地理的に有益な可能性を持った国です」。コンゴ政府がフランステレコム社(訳注:フランスの大手電気通信事業会社)の活動に有利となる環境づくりを約束したことで、他にもいくつものフランス企業のプロジェクトが立ち上げられた。無住所大臣(!)のジャニン・マブンダ・リオコは、ヴァンシ(VINCI)社(訳注:フランスの建設業グループ)が、キンシャサにあるヌジリ国際空港の滑走路改修契約の競争入札で落札(3700万ユーロ)したと伝えた。この他にも、いくつもの企業に落札への道が開かれている。セメント業ではラファルジュ社(訳注:仏企業。セメント世界最大手)、インガ第二水力発電所のタービン改修(さらに!)ではアルストム社(訳注:フランスの大手重電メーカー)、水と電気についてはスエズ・グループとヴェオリア社(訳注:ともにフランスの水企業)である。クリスマスには早すぎる!
 
ブラザヴィル(訳注:=コンゴ共和国)では、サルコジに付き従うセールスマンたちが、彼の友人であるボロレ(訳注:仏複合企業、ボロレ・グループ代表)に力添えをしたおかげで、少し前からボロレ・グループが経営しているポント・ノワール港に2900万ユーロの貸付金がついた。AFD(フランス開発庁)が認可したこの金は、間違いなくさらに具体的な開発を可能にする。セールスマンのひとりであるアラン・ジョワイヤンデ(当時の協力担当大臣)は、「大規模工事によって、この港に世界的な競争力を取り戻させる」目的があると述べた。
 
AFDの貸付金は、2006年からコンゴ共和国政府が行っているPip(優先投資プログラム)と、ポント・ノワール港――ギニア湾で最も重要な港湾工事とみなされている――への総額600億CFAフラン(9100万ユーロ)の融資からなる。2008年4月の時点で既に、国庫の専門家による最大8000万ユーロという見通しがある中、フランスの援助は8000万ユーロに増額され、それは今後5年間で2億6000万ユーロに達すると予測されている。当時専門家たちは、石油収入があるため、コンゴはフランスの援助を必要としていないと考えていた。確かに、その時点では、ポント・ノワール港の経営権はボロレの手に渡っていなかった(関連記事)。
 
最後に、サルコジはニアメ(訳注:=ニジェール)において、仲間のママドゥ・タンジャ(訳注:当時のニジェール大統領)と共にアレヴァの協定調印を祝福した。それは、北部イムラレンでの2012年からの大鉱山開発のための協定である。その裏では、ニジェールにあるITIE(採取産業透明性イニシアティヴ)(訳注:採取産業から資源産出国政府への資金の流れの透明性を高めることを目的としたプログラム)の現地事務局のメンバーとの設えられた会談がささやかに行われてはいた。しかしながら、複数のNGO団体や鉱山会社、およびニジェール政府が参加するITIEの勧告に強制力はない。また残念なことに、あまりに批判的なNGOはそこから外されてしまっている。ITIEのメンバーであり、GREN(ニジェールの採取産業について考えるグループ)に所属するサリス・ウバンドマによると、「サルコジ氏には不安を伝える必要があるので、ニジェール政府は我々が邪魔をすることに極度の恐怖を感じていました」。フランス大統領訪問の前日、GRENはアレヴァ社を非難し、4年前から開発が進められているウラン鉱床がある沿岸部の住民の環境と健康を保護する措置を取るように呼びかけた。サルコジが言う「獲物を狙うフランスというイメージを壊す」のは少し早い。
 
(ラファエル・ドゥ・ベニト)

協力省:新大臣、変わらぬ政治?

Billets d'Afrique et d'ailleurs 198号(2011年1月)

昨年11月の内閣改造で協力省が復活した。それから1ヵ月半も経てば、当然アンリ・ドゥ・ランクール新大臣の組織網は確立する。
 
2010年7月の初め、建築許可の不法取得をめぐる小さなスキャンダルが、アラン・ジョワイヤンデ協力担当大臣を辞職に追い込んだ。後任のポストは廃止され、当時外務大臣だったクシュネルが彼の職権とスタッフを直接統轄した。
 
11月半ばの内閣改造で、新外務大臣ミシェル・アリヨ=マリーの下、協力相の職が復活した。このポストには、前国会関係担当大臣で、それ以前はUMP(国民運動連合)の上院代表だったアンリ・ドゥ・ランクールが登用された。
 
能力ゼロ
 
ドゥ・ランクール就任の際、アラン・ジョワイヤンデは自分がアフリカについて何も知識がなかったことを認めた。ドゥ・ランクールに対するこの5年間の議会活動調査は、上院財政委員会――彼は何の根拠もなしに、開発援助および国外での軍事活動予算を通過させていた――への参加を除くと、自身が現在責任を負うべき問題について、彼には処理能力が全くないだろうと指摘している。
 
確かに私たちは、不法移民調査委員会を設置するための決議案が2005年10月に出されたことを知っている。その理由書は「断固たる政策、簡略化された政策」を称揚していた。それは「統合を実現するための正当な措置となる、厳しい入国管理による選択移民政策」である。
 
ビザ申請者やサン・パピエ(訳注:滞在許可証を持たない滞在者)たちはこれを高く評価するだろうか。
 
事業協力開発という使命
 
前任者同様にドゥ・ランクールも、とりわけ彼が擁護するPPP(訳注:パブリック・プライベート・パートナーシップ←公共事業の民間開放)に基づいて、協力政策によって企業に市場が開放されることを忘れていない。「つまり、ステレオタイプに閉じこもっていてはいけないのです。反対に、繰り返しになりますが、現在8億人の人口を抱え、2050年にはそれが20億人となるアフリカにとって必要不可欠な開発に出資するための、あらゆる可能性を開かなければなりません」(2010年12月23日、RFIの番組内で)。
raincourt.jpg 
私たちは、この発言が大臣補佐による適切な指導の成果だということが分かる。その人物とは、当時PROPARCO(フランス経済協力開発振興公社)――民間投資を専門とするAFD(フランス開発庁)の子会社――副社長だったリュック・リグゾ以外にいない。
 
10月22日、彼はジュネーブで次のように表明した。「今日、アフリカは20年前の中国と同じ活発さで発展しています。支払い能力のあるひとつの消費者層が現れ始めています。アフリカを単に天然資源の宝庫のように見ることをやめなければなりません。何故なら、この大陸の潜在能力は、アフリカの人々自身だからです。2040年までに、アフリカの人口の6分の1の人々の年間購買力は、1兆7千億ドル以上となるでしょう」。
 
現況:フランサフリックで頻繁に行われる公式訪問
 
結局のところドゥ・ランクールも、彼が笑顔を誇示して付き合っている国家元首たちによる人権侵害や民主主義の軽視を何とも思っていない。彼のアフリカの最初の公式訪問先は、12月1日に中央アフリカ独立50周年記念式典が行われたバンギ(訳注:首都)であった。大統領=独裁者の椅子を手放さないために、自分に都合の良い選挙(訳注:投票日は2011年1月23日)を準備しているフランソワ・ボジゼ(関連記事)の歓迎を受けた後、彼は記者会見でボジゼの疑いを晴らした。「CEI(独立選挙委員会)があり、選挙の期日は公開され、候補者数もほぼ明らかです。私もそう思います。従って、民主主義が政治システムとして機能しているフランスやアメリカ、その他いたる国々で行われている選挙運動と変わりなく、大統領選キャンペーンがこれから始まると思います」(訳注:2月2日、ボジゼは再選された)。
 
彼の2回目の訪問先は、同じく独立50周年を祝うブルキナファソであった(12月10日-12日)。ここでは、大統領=独裁者との会談が大統領選後に行われた。というのも、ブレーズ・コンパオレが80%もの得票率で再選されたのは11月のことだった(関連記事)。
 
彼がローラン・バボ(関連記事)に民主主義についての説教を垂れたのは、この訪問中のことであった。それは、ブルキナファソの進歩主義勢力にとって象徴的な一日である、ジャーナリストのノルベール・ゾンゴと彼の仲間が12年前に暗殺された日の前日である。
 
これまでよりもフランサフリック的でない訪問の機会を新大臣に与えたのは、12月21日に行われた、新しいギニア大統領の就任式であった――52%の得票率で大統領選に勝利したアルファ・コンデは元々、大統領府(訳注:フランスの)にとって最も好都合な候補者ではなかった……――。但し、大臣補佐であるリュック・リグゾが、フランス企業の利益のために献身できるよう、コナクリ(訳注:ギニアの首都)で行われた政権移譲を利用しないとは思えないが。
 
(アリス・プリモ)

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