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フランス=アフリカ関係/フランコフォニーを考えるためのブログ

   
カテゴリー「フランサフリック」の記事一覧

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どのようにして植民地化は協力に取って代わったか?

50 ans Françafrique Cétro(2010年5月31日)

どのようにして植民地化は協力に取って代わったか?
 
 1960年にド・ゴールは、ニューカレドニアのような後に海外領土と呼ばれることになる地域や、コモロ(1975年にようやく独立するが、マヨット島は除かれた)やジブチ(1977年独立)のようないくつかの戦略的拠点を除く、全てのフランスの植民地の独立を認める。
 独立が宣言されるとすぐに、ド・ゴールはそれぞれの国家と「協力」という新しい国際的合法性に基づいた新しい関係を築く。
 こうした関係は、協力協定の署名によって確固たるものとなり、開発援助を通じて、フランスを主要なパートナーとして確立するどころか、同時期に独立したばかりの国家を排除する。経済、通貨、財政、貿易、技術、司法、文化、軍事、外交に関する協力協定だけでなく、防衛あるいは原材料に関する事柄、また戦略的な協力協定もあり、それらはフランスがこうした新しい国々を支配することを可能にする。
 新しい社会体制を築き、経済発展プログラム(計画化)を打ち立て、管理職やエリートなどを養成するために、フランスの関係者たち(技術補佐員、アドヴァイザー)が新しい国家のもとに派遣される。しばしば彼らは、主権という原則さえも見直しながら、決定や執行(行政機関)にかかわる役職において、現地の幹部職員に取って代わる。
 1961年にフランスは国際協力省を創設する。政策の実行を委ねられたこの機関は、関係者らがそうであるように、ほぼ直接的に旧植民地省をその起源としている。
 こうした協力は、“領域”または“プレ・カレ”(pré-carré)と言われる国々のなかで、アフリカにおいて特権的な影響力を持った空間を維持することをフランスに保障する。協力政策によってフランスは、自らの開発モデルや方法、言語、思考方式、ならびに司法・行政システムを輸出する。そして、アフリカ経済の特殊化と外向性を引き起こすことで、原材料の生産と輸出に関して、協力関係にある国々の開発を正当化する。
(オディール・トブネル)
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フランスは援助を主張する前に傷つけることをやめなければならない

50 ans Françafrique Cétro(2010年5月31日)

 フランスは援助を主張する前に傷つけることをやめなければならない
(スュルヴィ代表、オディール・ビディに聞く) 

こうした50年間の協力関係をどのように総括しますか?
あらゆる点について、1つの惨憺たる総括があります。つまり、フランスは旧植民地の非常識な状況の中で、豊かな原材料に恵まれた地域に住む生気のない人々に対して極めて大きな責任を持っています。エリートたちの汚職、人権侵害、資源の略奪、環境破壊は、私たちの国の軍隊や企業、外交官たちの活動の直接的な帰結です。
 
あなた方は開発援助の不足を告発しないのですか?
問題は援助を主張することではなく、傷つけることをやめることです! 略奪を促進することにしばしば一役買っている、「援助」の名の下で与えられる1ドルのために、10ドルがタックス・ヘイブンを経由して非合法に持ち出されています。そして、政治の責任者たちは、アフリカの人々が貧しくなることに驚くふりをしています! こうした犯罪的偽善をやめなければなりません。
 
「フランスは自らの責任を認めなければなりません」(オディール・ビディ)
 (聞き手:トマ・ノワロ)

いくつかのアフリカの国々における支配を維持すること

50 ans Françafrique Cétro(2010年5月31日)

「いくつかのアフリカの国々における支配を維持すること」
 
・これまでの2つの記事の情報はもちろん間違いだ! にもかかわらず、それらは私たちが読まなければならないことである。
・アフリカにおけるフランスの新植民地主義への回帰。
フランスの植民地帝国から生まれたアフリカの14ヶ国にとって、今年は独立50周年の年である。しかし、法律上の独立の発表から50年、これらの国々がフランスに対する事実上の依存関係に密接に従ったままであることを認めざるを得ない。フランスはそこで、その後有名となる「フランス好きの独裁者たち」への経済、外交、軍事的支援と引きかえに、原材料を搾取することで、せしめた分け前をわが物にしている。1960年以来、「脱植民地化した」国々の主権は、フランスのいくつかの政治機構および企業と常に衝突してきた。それは、2001年にロイク・ル・フロック=プリジャンが概括しているとおりである。彼が代表を務める公共団体は次のように述べている。「エルフ(Elf)は石油会社であるだけでなく、とりわけ脱植民地化という重要な時期に、いくつかのアフリカの国々における支配を維持するための非合法の外交団である。[中略]それはまた、アフリカ政策が国益にぴったり適うことを目的にした、国家の延長的存在である。エルフの代表は石油会社の代表であると同時に、国際協力省の第二の大臣であると言えよう。この企業が常に諜報機関を財政支援したのは、まさしく彼らがアフリカの政治的・外交的目的を持っていたからである。」
 (アリス・プリモ)

5つの大きな改革の詳細

50 ans Françafrique Cétro(2010年5月31日)

5
つの大きな改革の詳細
 
より良く管理されたビジネス
アフリカにおけるフランスの多国籍経済活動をより良く管理するために、企業の社会的責任と環境(RSE)に関する非常に厳正な法律が政府により提案される。それは、タックスヘイブンを経由する資本をめぐる汚職や税金逃れに対する有効的な対策を可能にする実質課税の原則の義務付けである。国際競争が拡大するにもかかわらず、フランスがフランス語圏アフリカの国々における古くからの最初の外国投資家であったこと、またもちろんのことだが、貴重な原料の最初の輸出業者であったことを想起しよう。
 
開発援助の再検討
フランスは開発援助に関する計算方法を修正する。とりわけ、フランスの企業(「親密な支援」)による投資の際の条件付けられた総額、亡命した公務員の給料、およびサン・パピエの国外追放にかかる費用は、開発援助の中でもはや整合性を欠いている。直接予算による支援、その名にふさわしい「独裁者へのちょっとした寄付」、大統領親衛隊のような軍事技術支援は完全に廃止されるだろう。
 
外交上の大改革
これが大統領官邸の手帳を修正するものである! 専制的かつ退廃した全ての国家元首たちが、「人権の祖国の大統領」のもとでは政治的喧伝に目がないということを自覚するニコラ・サルコジは、自身のイメージの道具化に腐心するだろう。つまり、自身の大臣たちと同様に、フランス当局のところに堂々と現れることで正当と認められようとする独裁者たちとのより多くの対話を、といった形で。しかし、こうした欲求はそれ以上の展開をもたらす。フランスはもはや選挙管理の任務を一方的に行わず、多国間的な枠組みにあわせて行動することになる。従って、ごまかしの選挙の当選者を公的に認めるために奔走することをやめるだろう。
 
CFA(アフリカ財政金融共同体)フランの解消
未熟な権力者のためにはあまり派手にやらずに、という改革のこの一面は、しかしながらCFAフラン圏の約15ヶ国においては経済的な激変をもたらすだろう。UEMOA(西アフリカ経済通貨連合)およびCEMAC(中央アフリカ経済通貨共同体)に関わる主要な銀行の財政管理審議会において僅かな資金凍結を自由に行うことができるパリは、一方的にかつ無条件にCFAフランを取りやめるだろう。そして、フランスの公的財産取引の会計の中で、こうした国々からの輸出にかかる収益の50%分の支払いをもはや要求しないだろう。私たちはまだ、CFAフランがアフリカの地域統合通貨である続けるのかどうかを知らずにいるが、こうした決定は今後、アフリカ人たちだけのものになるだろう。確かなことは、CFAがユーロに繋ぎとめられることはもはやないということだ。それにより、アフリカの農民たちは欧州通貨政策の危険性に耐えることから逃れられる。そして、ヨーロッパへの財政の流れは、アフリカの国々の間での貿易を犠牲にする形で優遇されることはないだろう。
 
フランス軍基地の閉鎖と外交活動の議会レヴェルでの管理
これは、2008年にニコラ・サルコジによって発表された改革の結果であると思われ得るかもしれない。そこでは、フランスとそのいくつかの旧植民地とを結び付ける防衛協定の再交渉が行われていた。しかし、今回発表された改革はそれとは大きくかけ離れている。大統領は今後、フランス軍がアフリカ大陸で単独では何もできないという原則に基づくのだ。また、セネガル、ガボン、ジブチのフランス軍基地の即時かつ完全な閉鎖も伝えられた。こうして、1986年以来のチャドでの「一時的な」軍事行動が終わりを告げる! その上、外国へのフランスの軍事介入は、社会全般の利益にふさわしいものでなければならない。ガラス張りに少しだけ近づいた、参謀部の将校たちのほんの一部がそれを代表することはできないだろう。憲法上の改革は今後、あらゆる外交活動を始める前に、行政府にフランス議会の承認を得ることを義務付けることになる。ついに、大統領官邸に直接的に従属するエリート部隊の集合体である特殊作戦司令部(COS)は解散させられるだろう。
(ステファン・スミス)

フランスとアフリカの間で変わること

50 ans Françafrique Cétro(2010年5月31日)

フランスとアフリカの間で変わること
 
 私たちの国とお決まりの“優先地域”との間の経済、外交、軍事関係を根本的に改善するために、政府に委ねられた手段に関する書類について詳しく説明することで、ニコラ・サルコジが驚くべきことを打ち立てたのは、第25回アフリカ=フランス首脳会議においてである。この180度の方向転換を正当化するために、大統領は夫人のカーラ・ブルーニによる西アフリカへの人道的投資に心を打たれたと打ち明けた。彼女は最近、アフリカの貧困を減少させるために、世界で最も裕福な女性メリンダ・ゲイツの傍で活動していた。カーラ・ブルーニ=サルコジはそこで、貧困には政治的な原因があり、従って、とりわけ北側諸国で行動しなければならないのは、何よりもまず政治の分野においてであると自覚し、夫にメッセージを伝えたのだった。そして、旧領土との強い依存関係を維持し続けてきたフランス語圏アフリカの多くの国々については、特にフランスで行動する必要があると。それはまるで、独立50周年記念式典の際のシンボルとでもいえるほどのものだ。「2010年は本当の脱植民地化の年になるだろう」。サルコジ氏に言わしめたことは、よく知られている皮肉である。
(ステファン・スミス)
 

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