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フランス=アフリカ関係/フランコフォニーを考えるためのブログ

   
カテゴリー「フランス」の記事一覧

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シャルリー・エブド:対テロ戦争の名のもとで偏向する治安対策に警戒して

スュルヴィ(2015年1月12日)

シャルリー・エブドの風刺ジャーナリストと、
2015
17日から9日にかけて犯された襲撃事件の被害者たちの殺人を前にして、スュルヴィとそのメンバーはみな悲嘆にくれている。しかしながら、この惨事にたいする連帯意識の熱狂的な高まり以上に、私たちは選別的な憤慨と、この事件をめぐって現在進行中の、一部の党首、政府の人間、論説記者たちによる政治利用に不安を感じている。

 

テロリズムとの戦いの名のもとで、すでに最高潮に達し、悪化する可能性がある治安・軍事政策を正当化するための「わたしたちの9.11」という表現。「文明」と「野蛮」という言葉の対置。繰り返し用いられる「戦争」という語。経験的に正当化されるサヘル地域や近東でのフランスの軍事介入。こうした偏向がここ数日のあいだにみられる。フランサフリックとその根底にある新植民地的・レイシスト的イデオロギーと闘うなかで、スュルヴィができることは、専らこうした新保守主義的な言説の爆発的な高まりにかかわることである。

 

さらに、アリ・ボンゴ(ガボン)やフォール・ニャシンベ(トーゴ)といったアフリカの独裁者たちや、チャド大統領イドリス・デビの大使が、111日にパリでおこなわれた行進に参加したことは、私たちには極めて下品なものにみえる。彼らがいつも踏みにじっている表現の自由という問題以上に、マリ大統領とニジェール大統領をふくむ彼らの参加は、アフリカ、とりわけサヘル地域における近年のフランスの軍事介入を正当化する目的をもっていたと推察できる。

 

111日が、テロリズムとの戦いの名のもとで、フランスがマリで戦争を仕掛けてからちょうど2年目であったことを思い起こさなければならない。さらに言えば、政府が国際協力というレトリックを予め使用し、サヘル地域の武装集団がフランスにとって脅威であることを正当化するためにそれを振りかざしたのも、マリにおけるこの軍事介入が開始された時であった。

 

2年が経過したが、この戦争の目的は達成されなかった。昨年8月以降、サヘル地域5ヵ国にたいするバルハン作戦によって戦争は続けられている。この作戦は憲法違反である。というのも、議会は初めの4ヵ月間をのぞくと、この作戦について議論することもなければ、その継続を決議することもなかったのだ。こうした軍事主義的な政治、アフリカにたいするフランスの介入、とりわけアメリカの新保守主義者によって作り上げられたテロリズムとの戦いの名のもとでの国際的な介入、ますます厳格になる移民管理、そして新自由主義経済に基づいた(社会保障予算や教育に影響を与える)政策によって、(こうした政策を擁護する)世論の先導者である現政府とその前任者たちは、いわば彼らが戦わなければならないと言っているテロリストたちの使命を作り出している。こうした危機的状況は、ここ数日耳にするいくつかの短い決まり文句(訳注:「私はシャルリー」など)に甘んじることのできない、複雑で骨の折れる議論をうながすものである。

 

賛辞の嵐と、シャルリー・エブドの一部の姿勢にたいする批判が繰り広げられる――それはこの事件を正当化するものではまったくなく、反対に表現の自由のための動員を強化するものである――なかで私たちは、殺された元編集長のシャルブが、20131月末のセルヴァル作戦開始後に彼が書いた記事のなかで、マリにおけるフランスの戦争にたいし辛辣かつ炯眼に立ち向かってくれるだろうと思う。彼の死は今、サヘル地域でのテロリズムとの戦いを正当化するために持ち出されている。


『シャルリー・エブド』(2013年1月19日号)に掲載されたもの。「オランドがフランスをマリに介入」「それって彼の公約じゃなかった?」

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【論説】植民地化:共和国の歴史にとっての些細な出来事

Billets d'Afrique et d'ailleurs 214号(2012年6月)

ジュール・フェリーを引き合いに出した新大統領は
(訳注:関連サイト、国家による植民地化とレイシズムを、私たちの歴史における些細な出来事とみなしている。下院議会の演壇に立ったフェリーが声高に言った、「はっきりと、真実を言わなければなりません! 包み隠さずに、優れた人種は劣った人種を支配する権利があると言わなければなりません。」という言葉が、「人類が経験した数々の甚大な殺戮、つまるところ、ヨーロッパの『野蛮化』」(エメ・セゼール)の時代を開いたということを、彼は理解していないようだ。
 
arton4236-49c25.jpg人種間の不平等というこの非宗教的な教理は、義務教育を通じて下層階級のフランス人全員に押しつけられ、最悪の事態を受け入れさせる下地をつくった。フェリーは植民地拡大政策を決定的に正当化する。「優れた人種には権利があるということを、繰り返し述べたいと思います。なぜなら、そこには義務があるからです。優れた人種は、劣った人種を文明化する義務があります」。これが、道徳的優越によって神聖化された最も乱暴な干渉であり、文明化に逆らう全ての人びとを皆殺しにする、専横的なヒューマニズムというものである。最近おこなわれた、コートジボワールとリビアでの爆撃による民主化は、この原則が適用された最新の例である。
 
あるいは、オランドは事実を踏まえた上で、植民地拡大の推進者たちと同じ道に足を踏み入れたのかもしれない。いずれにしても、人民戦線にはじまり、ギー・モレ(訳注:社会党所属。1956年1月から1957年6月まで首相を務めた。)政権を経て、ルワンダでの大虐殺にいたるまで、左派政権が常に帝国主義的な企てに積極的だったことは事実である。わたしたちは、アルジェリアからルワンダまで、ミッテランの偉業の数かずを知っている。二期目の終わりに彼はこう述べた。「公式に認めます。フランスはその進路を維持し、アフリカでの活動が縮小することのないようにしなければなりません。アフリカにおけるプレゼンスを放棄すれば、フランスはもはや完全にフランスではなくなるでしょう」。この発言は、フェリーの次の言葉にこたえるものである。「フランスは単に自由な国というのではなく、国際情勢への影響力を持ち、その慣習や言語、軍隊、国旗、特性を、可能な全ての場所で広めながら、大国となることを望んでいます」。
 
歴史家たちは、オランド選出に対する抗議を時代遅れとみなした。最善の選択だと。1885年、多くの下院議員たち――右派よりも左派のほうが多かった――が、「1789年革命と1848年革命で打ち立てられた原則の放棄」「奴隷制と黒人奴隷売買の正当化」といった、植民地化のための人種の理論化を当然のものとして捉えていた。ジョルジュ・クレマンソー(訳注:[1841-1929]政治家、ジャーナリスト)は次のように反駁している。
 
「あなた方が蛮族と呼び、暴力性を見出している人びとに対する支配の歴史をご覧なさい。あらゆる残忍な犯罪、暴虐、大量に流される血、征服者によって抑圧され、虐げられた人びとを! それがあなた方の文明化の歴史です![…]どれほどのむごたらしく恐ろしい殺人が、正義と文明化の名の下で犯されたでしょうか。」
 
時代遅れなのは、国民を代表する大統領という立場から、国家によるレイシズムの発案者を称賛していることである。その中には、フェリーに劣っていると見なされた人びとの子孫も含まれている。劣っている「人種」に出自を持つか持たないかに関係なく、例えば、教育現場でもこうした賛辞を押しつけられ、それを誰かが拒否するようなことがあったらどうするというのだろうか?
 
最も有名な植民地拡大のロビイストに敬意を表することで、オランドが憚ることなく掲げた目標である、「学校を共和国の全ての子どもたちの統合の場にする」どころか、一方ではカトリック教育に莫大な補助金を出しながら、ライシテ(政教分離)の名の下で、スカーフ着用を口実に、公立学校から慎み深い若い女性が排除されることが懸念される。海外同様にここフランス本土でも、劣った人びとを「文明化する」ことが相変わらず続けられている。
 
(オディール・トブネル)

Jules_ferry-Bougault-72596.jpg
巡洋艦「ジュール・フェリー」号

社会の断絶と植民地の断絶

Billets d'Afrique et d'ailleurs 142号(2005年12月)

社会の断絶と植民地の断絶
 
 確かに、アフリカ出身の人々は難しい問題をつきつけている。フランスにおいてと同じく、アフリカにおいても彼らは居心地が悪い。要するに、彼らは自らが生きる世界にいかなる居場所もないと感じているのだ。アフリカにおける公正な議論すべてから遠ざけられ、フランスによって支えられたアフリカ諸国の独裁的な体制によって何の自己決定も与えられないまま、地理学的、社会階級的にフランスに追いやられ、彼らが障壁を乗り越えることのできない空間において、彼らには避難場所として、一人ならず怯えさせるのに十分な、抗議としてのあるいは宗教的な郊外の文化しか残されていない。
 統合のフランス式モデルがあるとよく言われる。難点はそのモデルがすっかり身を隠してしまっていることである。我々はそれをほとんど見ることがないし、上層当局は特にそれに気付かない。確かに、以前北アフリカ系の知事が慌乱の中で選ばれたが、フランスで何らかの統合政策が実行されているならば、我々はそれを祭り上げるべきではなかった。それは反対に統合の欠如の証であった。
 郊外の若者たちの怒りに対する権力の反応は雄弁なものだ。非常事態法は、憲法の下に保障された存在とみなされた万人の自由を軽視するだけでなく、いとも簡単にその自由が停止されることを明らかにする。そして、それ自体は自動車への放火よりも憂慮すべき政治的な行為である。植民地戦争の只中の1956年に初めて使われたこの法の使用には、一人ならずとも衝撃を受けた。
 しかし、郊外が激しく抗議することは“世界の終わり”である。実は、それは世界の終わりの前兆であろう。この数ヶ月間、「共和国の先住民」という声明が、メディア受けの良いインテリ階級の人間たちによって激しく非難された。今日、メディアは数ヶ月前に描き、告発していた情況の実例を突然発見する。しかし、我々は病に気付きそれに気を配るよりも、むしろ証拠を非難し壊す方法を選ぶ。フランスは植民地という過去に病んでいる。なぜなら、フランスは今日まで現実を包み隠そうとしながら、その過去を正当化し永続させようと試みることしかしなかったからである。
 アフリカは本国の政治と経済の問題を解決するためにじつに有用な兵士の、労働者の、そして“資源”の生産地であった。おかげで、フランスは第二次大戦という舞台で端役を演じ、「強国」という地位につくことができ、「栄光の30年」における経済的躍進を成し遂げることができた。今日ではもはや兵士も労働者もほとんど必要とされていないが、“資源”は利用され続けている。
 今、兵士や労働者の子供たちが生きている。我々は本当のアパルトヘイトよりも荒廃した、陰険で恥ずべきアパルトヘイトを彼らに実施した。しかし我々は、それは絶対にあってはならないという感受性さえも持ち合わせていない。
 “資源”、ただそれだけが今日では関心に値する。中国人やアングロサクソン人たちの欲望に対抗し、まさに権柄尽にそれと戦おうとしている。こういった立場において、人間は世界的な新しい経済的秩序の、新しい「危険な階層」を囲いの中に押し込め、身動きや流れを妨げる堂々巡りで進歩のない妨害者でしかない。よって我々はそのような妄想を誇示する滑稽さを恐れることなく、一夫多妻制を公然と非難するのだ。お誂え向きのアフリカは、ボンゴ、ビヤ、コンパオレ、サスー、デビ、ボジゼとその同類たち、そして彼らの規範に適った後裔や、正式に証印を押された後継者たちといった何人かの「友人」たちのみを住まわさねばならない。アフリカ―フランス間の伝統的な首脳会議の開催においては、そのようなお誂え向きのアフリカしか祭り上げられない。それは植民地の古めかしいイメージでしかない。しかし、歴史の中には民衆という歴とした存在があり、彼らは忘却の淵に置かれる時、予期せず意外なところで、招かれざる者として顔を出すのだ。
(オディール・トブネル)

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