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危機に瀕したコートジボワールの人々

Billets d'Afrique et d'ailleurs 200号(2011年3月)

アフリカ外交が、ローラン・バボとアラサン・ワタラの対立を程よく解決しようと躍起になっている時、二つの陣営による軍事活動が国中を血に染める恐れがある。
 
選挙後に危機的状況が生まれてから――間違いなく、選挙前もそうだった!――、フランスもアメリカもワタラの勝利を疑っていない。サルコジのもったいぶった声明から既に3ヶ月が過ぎた。「いかなる異議申し立ても不可能です。(バボ氏は)今、選ばれた大統領に政権を委ねなければなりません」。実際には異議申し立て運動が行われたにもかかわらず、CEDEAO(西アフリカ諸国経済共同体)は先手を打った。マリに集まった西アフリカの国々の首脳たちは、ワタラ政権を築くために、バボ政権の軍事的転覆に言及した。仲間たちに決断を迫りながら、ナイジェリアの外務大臣はあらゆる介入を行う前に、国連による解決を要求した。ナイジェリアの断行的な介入政策は、国内に散在する暴力行為と、4月に行われる大統領選挙のおかげで緩和されている。事態を解決するアフリカ連合の後ろに隠れていたい国連は、コートジボワールにおける活動の「緊急」強化に賛成するに留めた(※1)。アフリカ連合側は軍事的解決を拒絶し、危機脱出を説得する5人の国家元首を派遣した。コートジボワール問題解決のための根拠とみなされる、このパネルディスカッションの構成員は――部分的に――ひどいものである。メンバーのうち3人が、クーデターで権力の座に就いた、フランサフリックの防波堤にいる軍人なのだ。それは、ブルキナファソのブレーズ・コンパオレ(1987年大統領就任)、チャドのイドリス・デビ(1990年就任)、モーリタニアのムハンマド・ウルド・アブデルアズィーズ(2008年就任)の3人である。他に、投票によって大統領となった2人の人物、南アフリカのジェイコブ・ズマ(2009年就任)と、タンザニアのジャカヤ・キクウェテ(2005年就任)がいる。
 
意志の固い南アフリカ
 
2月17日、南アフリカの外務大臣は、アフリカ連合が12月にとったワタラ支持という立場から距離を置いた。「決定的とは言えない」、「不完全な」選挙に言及しながら、外相は、どうしたらアフリカ連合が当初の立場に戻れるかについて詳細に説明した。3月2日と3日のズマのパリ訪問に際して、コートジボワールの危機に関する交渉の可能性について質問を受けた彼は、「解決はアフリカの国家元首たち自身によって特に行われなければならない」ことを強調した。この固い意志は、南アフリカ軍の軍艦が1月の初めからコートジボワールの沖合に待機するようになって以来、ますます強くなっている。
 
騒ぐワタラ、遮られるワタラ
 
パネルディスカッションは結局、2月21日にアビジャンで行われたが、コンパオレは出席しなかった。ブルキナファソの大統領は、コートジボワールでの反乱を根本的に支援しているために、長い間非難され続けている。それは、2002年にバボ政権の転覆を狙い、今日ではワタラ陣営を支持する反乱である。つまり、彼は「愛国者の若者」が企てていた反乱を避けることを選んだのだった。彼の大変立派な――そしてほとんど信用できない――再選に逆らって、ブルキナファソの若者たちのデモ行動は拡大していくはずだった。22日のパネラーとワタラとの会談は緊張したものとなり、ズマは報道陣たちを前にワタラの発言を遮ってばかりいた。南アフリカの外務相代理、エブラヒム・イスマイル・エブラヒムは、ディスカッションで出された提案をAFP通信に打ち明けた。それは、政権の分割か新しい大統領選を行うというものだった。ズマのパリ訪問の後、調停は再び行われるだろう。しかし、2月22日以降、現地の動乱は急速に進んでいるように思われる。
 
「誰もはっきりとは言わないが、コートジボワールでは再び戦争が始まった」
 
ジャーナリストのテオフィル・クアムオによるこの警告は、交渉の可能性を信じることの難しさを明らかにしている。支持者たちに支えられた両陣営は頑なな態度を崩さない。バボ側には、治安部隊、愛国者の若者、そして南アフリカやアンゴラの支持者たちがいる。ワタラ側には、反乱軍、「公平な」同盟部隊、国連、フランス、そしてアメリカがいる。その間には、政治的・戦略的争いの犠牲者である、身動きできないコートジボワールの人々がいる。中西部では、1月に発生した人命を奪う地域間紛争(アムネスティ・インターナショナルによると、約40人が死亡した)の後、人々の大規模な移動があった。リベリアとの国境沿いでは、国の北半分を掌握している反逆者たちが南部に進行した。国連難民高等弁務官事務所によると、3ヶ月前から45,000人の人々が国境を越えた。アビジャンでは、親バボのFDS(治安部隊)がいくつかの地区を恐怖に陥れ、「姿を見せないゲリラ」(※2)に対する軍事行動が進められている。強固に装備されたこのゲリラは、住民の大半が親ワタラのアボボ地区から活動している。そこでは1月の半ばから、FDSの兵士たちによって多数の死者が出ている。戦闘から逃れながら、多数の住民がアボボを去った。愛国者の若者たちは現在、国連平和維持活動に対して決起している。2月28日、潘基文国連総長は2004年から科せられている武器輸出禁止制裁への違反を避難した。ベラルーシの3機の攻撃ヘリコプターが首都ヤムスクロでバボに引き渡されていたのだった。後になってから前言を撤回しても遅い! コートジボワール問題に関わる国連の制裁委員会は再開されるのだろうか? アドホック委員会による報告書を最後に、制裁委員会は昨年秋に眠りについてしまった(関連記事)。
 
フランスの後押し
 
より強力な介入を期待しながら、フランスはワタラによるバボ政権への経済制裁要求に応えた。2ヶ月足らずで、EUは4種類の経済制裁を可決した。91人の高官が制裁対象となったほか、EUの船がコートジボワールの港への入港を禁止しているため、カカオ豆の輸出だけでなく、医薬品や食料の輸入に重大な影響が出ている。ヨーロッパの銀行のコートジボワール支店の中で規模の大きい、BNPパリバとソシエテ・ジェネラルは閉められ、コートジボワール経済をより一層麻痺させている。

(ラフィク・ウラ)
 
※1 2ヵ月が過ぎ、強化される気配は微塵もない。
※2パリで2008年に欠席裁判で有罪宣告を受けた、イブラヒム・クリバリ軍曹長をこのゲリラの指導者に仕立て上げようとする動きがある。
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