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論説:推定被害者

Billets d'Afrique et d'ailleurs 203号(2011年6月)

フランスのジャーナリズムは最近、「推定被害者」なる新しい権利を発明した。ネット上の至るところに見られるこの表現は、ドミニク・ストロス=カーンの事件(訳注:2011年5月、宿泊していたニューヨークのホテルの女性従業員に対する強姦未遂等の疑いで逮捕された事件。ストロス=カーンはIMF専務理事辞任に追い込まれた。)以前には一度も使われたことがなかった。私たちの目的はこの事件についてとやかく言うことではなく――常に分別をもって行動したいと思う――、ただ単に、この奇妙な言語の創造に関して良く考えることだけである。

17927136.jpg確かなことは、裁判所で有罪を宣告される以前に、誰かを罪のある者と名指すことを禁止するための、推定無罪の原則があるということである。しかし、この原則に対する違反は非常に多く行われており、その中には良く知られたケースもある。クリアストリーム事件(訳注:ルクセンブルクのクリアストリーム銀行に隠し口座を保有して、武器売却の手数料を不正に受け取ったとする人物のリストなど、23ページにおよぶ文書をめぐる事件。)で尋問を受けたニコラ・サルコジは、2009年9月に公の場で次のように述べた。「2年間の調査を経て、犯人は軽罪裁判所に起訴されるべき人物だった、と2人の独立裁判官が裁決を下しました」。被害者という地位は疑われることが全くないのである。犯罪の統計調査でも、単純に被害者のことだけが語られる。
 
もっとも、虚偽の訴えが為されるというケースもあるのだが、そうした事があるからといって、推定被害者について議論することを可能にしてしまうような、事実に基づかない嫌疑を防ぐためのルール作りに発展するかといえばそうではない。2004年7月、RER(訳注:首都圏高速交通網)のD線で起きたマリー・ルブラン事件に熱狂したメディアは、あらゆる陣営の政治指導者たちから怒号に満ちたコメントを引き出し、民族的な属性から犯人と名指された人びとに対するレイシズムの嵐を引き起こしたのだった。
 
つまり、2種類の被害者が存在しているのである。良き被害者は、極端なまでにその受難ぶりがメディアに載せられ、悪しき被害者は、残念なことに、道徳的な人間としての評判が汚されることになる。こうして私たちは、コートジボワールのアビジャンにあるノボテル(訳注:フランスに拠点を置くアコーホテルズのホテル・チェーン)で、4月4日に2人のフランス人が行方不明になった――ニュース番組では常にこのように伝えられている――事件の調査の進展をテレビで知らされている。うち一人の遺体が最近発見された。フランスの予審判事が間もなく現地に赴くだろう。
 
コートジボワール司法相は「誘拐事件の関係者と見られる何人かの人物を捕らえました。」と述べた。彼らが都合の良いように自供させられることは容易に想像できる。その一方で、4月1日にヤムスクロ(訳注:コートジボワールの首都)のホテルの一室で、フィリップ・レモンというフランス人教授が暗殺された事件に関しては、調査も裁判も行われず、政府声明が出されることもなく、もちろん、テレビでは全く報道されない。現地に赴いたフランス当局の関係者は、流れ弾に当たった、つまり事故であると口先だけで説明し、被害者の身元については口をつぐんでいる。それもそのはずである。フィリップ・レモンはバグボ大統領の支持者として有名だった。彼は脅迫を受けており、身を隠していたのだった。
 
パリの外務省は、この死亡したフランス市民に関する情報をまだ調べているところである。最近の専門用語に従えば、彼もおそらく推定被害者ということになる。「被害者」(victime)という言葉をめぐっては、既に以前から流行りの言葉遣いとして多くの使い方が為されてきており、支配者集団にとってあまり好ましくなかった歴史的出来事の中で、それはタブーと見なされていた。こうして、「生贄(にすること)」(victimisation)や「生贄合戦」(compétition victimaire)という言葉が、メディアに登場する口達者な人間による威圧的な発言によってあちこちで使われことになる。彼らは、アフリカ人たちの長く苦しい苦難に思いを馳せることを公然と非難する。数世紀にわたりアメリカ大陸に強制的に移送させられる中で、大西洋やプランテーションで命を落としたアフリカ人たちの苦難、また、アフリカに残り、強制労働によって皆殺しにされる運命を強いられたアフリカ人たちの苦難をである。
 
同様に、「犯人」という言葉もタブーである。世界中に道徳的な説教を自慢げに垂れる人びとは、単なるマゾヒズムを主張したパスカル・ブリュックネール(訳注:フランスの作家・評論家)のような人物を除いて(訳注:ブリュックネールは、ポスト・コロニアルをめぐる議論の中で、過去の罪や恥にこだわるヨーロッパの状況を、西欧マゾヒズムとして批判した)、いかなる犯人(非難されるべき者)にもなり得ない。従って、彼らが人びとに善事を押しつけるために犯しているあらゆる罪に対しては、黙秘の掟が行使されなければならないのである。
 
それでもなお、有害な雑音が生まれるとすれば、そこには、副次的被害、推定被害者、流れ弾といった、婉曲的であったり、懐疑的であったり、否認するような言い回しが大量に積み重ねられているということである。
 
(オディール・トブネル)
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