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フランス=アフリカ関係/フランコフォニーを考えるためのブログ

   
カテゴリー「『アフリカのアレヴァ社』」の記事一覧

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アフリカのアレヴァ社――フランス原子力政策の裏側 6

AREVA en Afrique - La face cachée du nucléaire français(2012年2月)

img172.jpg市民団体の活動
フランスのエネルギー政策の悲惨な結果を告発し、アレヴァ社のプロパガンダを封じることが何よりも重要である。そこでは、莫大な広告費によって、フランスにおける「クリーン・エネルギー」が、そして、アフリカにおける開発援助(という名の略奪)が宣伝されている。ガボン同様にニジェールにおいても、アーリットのAghir In Man、ニアメのGREN、ROTABといった市民団体が、ウラン採掘による環境問題を告発している。マリ西部のファレアでは、ARACEという団体が、カナダの鉱山会社ロックゲート(訳注:2005年設立)が探鉱をおこなう以前に(※関連サイト)、鉱山開発がもたらす深刻な被害を明らかにしている。しかし、ウラン鉱山問題をめぐる民主的な議論は一向に進まない。というのも、市民たちの動きは、持続可能な開発のためには年間600万ユーロものコストがかかると言い立てる政府やアレヴァ社によって一掃されてしまうからだ!
 
数字でみるアレヴァ社
・フランス政府の持株率は87%である。
・フランスの原子炉58基に必要なウラン燃料の3分の1がニジェールから輸入されている。
・2008年に製造したウランの4分の1がニジェールで採掘されたものである。
ウラン鉱山経営による収益は、2007年-2011年の取引総額の12%、投資総額の40%である。
 
年表でみるアレヴァ社
1945年:CEA(原子力庁)設立。
1958年:ガボンでの鉱山開発のため、コミュフ社(Comuf:CEAの子会社)設立。
1959年:1945年から1959にかけて、フランスの全植民地でウラン採掘調査が行われた。
1967年:ニジェールでの最初の鉱山開発のため、ソマイル社(Somaïr:CEAの子会社)設立。
1974年:ニジェールでの2つ目の鉱山開発のため、コミナック社(Cominak:CEAの子会社)設立。ニジェール大統領ディオリに対するクーデター発生。
1976年:コジェマ社(Cogema)設立。
1982年:ミッテランがニジェールを訪問し、大統領クンチェと会談。
1999年:ガボンでの採掘停止。
2001年:アレヴァ社(Areva)設立。
2003年:シラクがニジェールを訪問し、大統領タンジャと会談。
2004年:NGOによるニジェールでの最初の環境調査。
2005-2007年:ウラン価格の高騰。ニジェールとの価格改定交渉。
2009年:サルコジがニジェールとコンゴ民主共和国を訪問。
2011年:アフリカでの複数の採掘計画の凍結が発表され、ウラン鉱山の民営化が検討されはじめる。
(おわり)
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アフリカのアレヴァ社――フランス原子力政策の裏側 5

AREVA en Afrique - La face cachée du nucléaire français(2012年2月)

img171.jpg隠された環境破壊と健康問題
コジェマ社、そしてアレヴァ社によるニジェールでの40年にわたる鉱山開発は、惨憺たる結果をもたらしている。そこでは、2つの鉱山周辺で、農牧業用の土地の略奪がおこなわれた。また、動植物は絶滅し、放射性の粉塵とガスによる大気汚染や、水資源の放射能汚染がすすみ、2ヶ所の巨大な帯水層は短期間で完全に枯渇してしまった。現地住民や鉱山労働者に対する健康への影響は深刻だが、そこには沈黙の掟がある。アレヴァ社が健康管理を担当することになっているのだが、奇妙なことに、治療をおこなう医師が放射線被爆を検出することはない。ガボンのムナナでは、採掘が停止されてから10年以上経っているが、現在も放射性廃棄物が残されたままであり、現地住民の健康状態が非常に懸念されている。
 
アレヴァ社の不透明な投資
アレヴァ社のビジネスは大失敗を起こすことがある。代表的な実例のひとつが、2007年、カナダの探鉱企業ウラミン・グループ(UraMin)を18億ユーロという不当に高額な価格で買収したことである。タックス・ヘイヴンとして有名な英国領バージン諸島に登記されているこのグループは、ナミビア、中央アフリカ、セネガル、南アフリカに子会社を持っている。2011年末、アレヴァ社が収支計算をすると、帳尻が合わなかった。すると、減価償却をおこなうために、ウラミンの買収額よりも高額な、19億ユーロ以上の金を用意したのだった! この買収問題を調べるために、2011年6月、財務監査が国民議会でおこなわれ、再調査可能な問題であることが指摘された。
 
ニジェール:アレヴァ社、蜂起、治安悪化
そこでどんな政治危機が起ころうと、また治安が悪化しようと、アレヴァ社によるニジェールでの鉱山開発がストップしたことは一度も無い。略奪者としてのフランスの存在は、サヘル地域での政治的緊張が増加する要因ですらある。1990年代と、2007年から2009年のあいだに起こった武装蜂起では、ウラン採掘による収益の分配が要求されていたが、それは、鉱山周辺に住む人びとのフラストレーションのあらわれである。アレヴァ社は、イムラレン鉱山開発のための環境調査をおこなったが、2008年に北部で出された非常事態宣言の混乱に紛れて、環境への影響が無いことを内輪で判断してしまった。2010年末、AQMI(イスラーム・マグレブ・アル=カーイダ機構)を名乗るテロリスト・グループが、アーリットの鉱山地区にある、アレヴァ社とヴィンチ・サトム社(Vinci-Satom)で働くフランス人職員7人を誘拐した。そのうちの5人は現在も人質となっており、アルジェリアと近隣諸国におけるフランスの軍事プレゼンスの強化が正当化される結果をもたらしている。そして、民間軍事会社とニジェール軍による治安維持が次第に強化されている。
(つづく)
 

アフリカのアレヴァ社――フランス原子力政策の裏側 4

AREVA en Afrique - La face cachée du nucléaire français(2012年2月)

img170.jpg【←画像の解説】(上から)
アルジェリア
:1960年から1966年までのあいだに、フランスの核実験が17回行われた。
ニジェール
:北部のアガデス州にあるアーリットでは、40年前から10万トン以上のウランが採掘されている。イムラレン鉱山の開業は、2009年から延期され続けている。
セネガル
:2008年から探鉱が行われている。
中央アフリカ
:1970年代まで西部の町バクマ行われていた採掘が、2006年にフランスがウランを購入したことで再開されることになった。しかし、その計画は凍結されたままである。
コンゴ民主共和国
:アレヴァ社は2009年、国内全土というかつてない規模の探鉱許可を秘密裏に取得した。
ガボン
:1961年から1999年まで、東部ムナナの鉱山で採掘が行われた。現在、町は深刻な放射能汚染を被っている。アレヴァ社は採掘再開の可能性を示唆している。
マダガスカル
:1953年から1960年まで採掘が行われた。
ナミビア
:中部にあるトレッコピー鉱山が、世界で最も大規模な露天掘り鉱山の一つになるといわれている。その特性は、低含有率のウランと、鉱石加工のための淡水化プラントの設置にある! しかし、計画は凍結されたままである。
南アフリカ
:1961年から、フランス政府は国内にあるウランと引き換えに、アパルトヘイト国家による原子力の平和・軍事利用計画に協力し続けている。例えば、ナミビアでの採掘は南アフリカが管理することになっている。一方で、アレヴァ社は2基の原子炉を管理し、EPR(欧州加圧水型炉)の建設も狙っている。
 
※右下の凡例(上から)
・過去に採掘が行われていた場所(=中央アフリカ、ガボン、マダガスカル)
・現在採掘が行われている場所(=ニジェール)
・採掘が計画されている場所(=セネガル他)
・核実験が行われた場所(=アルジェリア)
・稼働中の原子力発電所
(つづく)
 

アフリカのアレヴァ社――フランス原子力政策の裏側 3

AREVA en Afrique - La face cachée du nucléaire français(2012年2月)

img169.jpgフランス統治下の独立
1960年のアフリカ諸国独立の際、ニジェールやガボンといった旧植民地とフランスとのあいだで締結された防衛協定は、フランスの国益を保護するための、原料や戦略資源の「優先的確保」とよばれる条項を含んでいた。
 
アレヴァのフランサフリック組織網
コジェマ社に続いてアレヴァ社も、公式・非公式を問わず、フランサフリックの組織網を利用し続けている。
元外交官たちが、鉱山会社のトップに立っている。ジャック・フォカールの臣下で、ガボン大使だったモーリス・ドロネーは、1979年から1989年までコミュフ社(訳注:ガボンのウラン鉱山会社)の社長を務めた。また、大統領府アフリカ担当室の古参であったドミニク・パンは――当時、後にアレヴァ社のCEOとなるアンヌ・ローヴェルジョンがフランソワ・ミッテランの下で働いていた(訳注:ローヴェルジョンは、ミッテラン政権で国際経済・貿易担当特別補佐官を務めた)――、2007年にニアメ(訳注:ニジェールの首都)でウラン価格の改定交渉がおこなわれた際、アレヴァ・ニジェール支社の代表となった。
常連の仲介人たちが、ヨーロッパから派遣されている。パトリック・バルカニー(訳注:UMP所属。オー=ド=セーヌ県ルヴァロワ=ペレ市長)は、とりわけ中央アフリカで密使として暗躍している。ベルギーの企業家ジョルジュ・フォレストは、コンゴ民主共和国で「カタンガ総督」(訳注:「カタンガ」はシャバ州の旧称)の異名をとる。
元軍人や秘密警察たちも派遣されている。2007年、ウラン鉱山の治安維持をおこなう民間企業エペ社からニジェールに派遣され、ニアメのフランス大使館で防衛官を務めるジル・ドナミュールは元陸軍大佐である。
 
1974年、ニアメ:原子力のためのクーデター
1967年からフランスは、ニジェールのウランを破格の安値で購入し続けていた。1973年に石油危機が起こり、原子力政策を加速させる方針が決まると、アマニ・ディオリ大統領(訳注:ニジェール初代大統領)はフランスに対し、ウラン価格を引き上げるように要求した。歴史家のガブリエル・ヘクトは、「ニジェールがフランスの巨大な原子力産業に貢献できる力を持っていると考えていたディオリは、その代わりに、フランスがニジェールの開発援助に莫大な資金を投入すべきだと主張した」と指摘している。そして、フランスとニジェールとの関係は緊張する。1974年4月14日の夜から翌15日にかけ、アマニ・ディオリはセイニ・クンチェ(訳注:当時の国軍総参謀長)が起こした軍事クーデターの犠牲者となる(訳注:ディオリは6年間投獄され、その後も7年間自宅軟禁におかれた)。実行前、このクーデターの首謀者たちは、間違いなくフランスからの支援を受けていた。というのも、二国間の防衛協定があるにもかかわらず、クーデター開始前から軍事介入拒否が発表されるまで、現地のフランス軍は反乱軍の動きを黙って見ているだけだった。
 
2009年~2010年:ニジェールでの権益保護
2007、ニジェール大統領ママドゥ・タンジャは、採掘権を自由化した。こうして、投資家間の競争が、とりわけアレヴァ社が狙っていた国内最大のイムラレン鉱山をめぐって激化する。アレヴァ社がこの鉱山を手に入れるためには、高騰したウラン価格を受け入れなければならなくなったのである。
2009年3、憲法の定めに逆らって三期目を務めようとしていたママドゥ・タンジャに対する異議申立てがニジェール国内で高まる中、ニコラ・サルコジはイムラレン鉱山の契約に「秘密裏にサインする」ために、アレヴァ社長とともにニアメを訪問する。これが契機となったのは明らかであろう。フランスはその国益のために、ニジェールの人びとの権利を踏みにじることで、タンジャの再選を合憲的なものと認める。しかし、ニジェールとの外交関係は長続きしなかった。
2010年2月18、軍事クーデターによってタンジャは失脚する。その直後、アラン・ジョワイヤンデ協力担当大臣は、「アレヴァ社がニジェール政府および現地の人びとと築いてきた、長きにわたる協力関係が悪化することは絶対に有り得」ないと述べた。フランス政府は、大統領に対するクーデターが準備されていたことをはっきりと察知していたにもかかわらず、軍人たちの行動を止めようとしなかったのだった。なぜなら、ママドゥ・タンジャが、ニジェールのウラン鉱山の採掘権を、フランスの競争相手である中国やイランにまで広げようとした最初の人物だったからである。
(つづく)

アフリカのアレヴァ社――フランス原子力政策の裏側 2

AREVA en Afrique - La face cachée du nucléaire français(2012年2月)

抜本的に見直された原子力産業
 投機によってウランの価格が高騰した2005年から、アレヴァ社はとりわけアフリカにおいて、自社の採掘権を拡大しようと目論んだ。表向きには政治家たちから、裏ではフランサフリックの組織網からの支援を受け、アレヴァは中央アフリカ、ニジェール、コンゴ民主共和国、セネガル、さらにはナミビアでも、秘密条項を盛り込んだ新たな契約を勝ちとっていった。
 
しかし、アレヴァ社の潜在的利益が原子力市場で抜本的に見直されると、大がかりな数々の採掘計画は凍結され、改めてその収益性が議論をよんでいる。
 
つまり、関係諸国への経済的影響など無視されていたのだった。このことは、フランスの企業によるウラン開発がもたらす経済発展という約束がまやかしであったことを明らかにしている。
 
そうした国ぐに対する軽蔑的な態度は、現在のところアレヴァ社の筆頭株主となっている、フランス政府のそれでもある。民営化ではなく、「資本を開放する」計画のなかで、間違いなく真っ先に二束三文で売りに出されるのは、最も収益性が高いとされているアレヴァ社の鉱山部門である。つまり、最悪な事態は、この企業が徹底的に最大限の利益をあげることや、投機という運を天に任せることだけを考え、株主にのみ仕えるようになった時に訪れる。これが今、フランスによるアフリカでのウラン開発という悪行を終わらせなければならない理由である。

img168.jpg 【画像の解説】
ウラン開発担当機関の変遷
1945年:CEA(原子力庁)創設
⇒原子爆弾製造を秘密裏におこなうことを目的としていた。
1976年:COGEMA(コジェマ)創設
⇒CEAが100%出資する企業。採掘から再処理まで、核燃料サイクルの全てを引き受ける。
2001年:AREVA(アレヴァ)創設
⇒核燃料製造を担当するコジェマと、原発建設を担当するフラマトム社(Framatome)とが合併してできた企業。
(つづく)

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