2011年2月17日(スュルヴィ)
北アフリカの国々で吹く自由の風は、独裁体制を追い払おうとする人々にとって希望の源である。サハラ以南アフリカではこうした願いが強いだけに、多くの独裁者たちがフランスからの支援を長く受け続けている。
チュニジアの平和的な革命が最終的に無効になったというような、不明瞭ないわゆる「安定」論のもとで、フランスの外交政策は数十年間にわたり、人々に嫌われた体制と彼らの国の資源の収奪者たちの支援をずっと続けている。この支援は、クーデターや不正選挙を認めたり、外交、軍事、警察を支援したり、実に親切な公的援助を行ったりといった、様々な形態をとっている。
フランスの外交政策は、チュニジアの革命を理解しなかったのと同様に、アフリカ各地での、自由を求める人々の強い願いを理解するつもりがないようだ。
チュニジアの治安維持へのフランスの支援に関する外務大臣の声明と、ベン=アリー体制の高官たちとの関係によって巻き起こったスキャンダルは、アフリカの独裁者たちに対するフランス当局の放任と共犯の一例が明らかになったに過ぎない。おそらくそれは、木を見て森を見ずといったところだ。ガボンにおいて、フランスから提供された治安維持軍需品が、ボンゴ体制に異議申し立てを行う活動家や学生たちを鎮圧するために使われている間、コンゴ共和国のフランス大使が、ドゥニ・サス=ヌゲソ大統領の右腕に、ニコラ・サルコジの名でレジオンドヌール勲章を授与していたことは、まさしくそうした無関心の中にある。
フランスが見ない「新しいチュニジア」は今どこにあるのだろうか? フランスが最後まで支援し続けるであろう「次のベン=アリー」はどこにいるのだろうか?
・1977年に権力の座についたドゥニ・サス=ヌゲソが、国の財産を横領しながら、武力と争いによって維持しているコンゴ共和国では?
・1987年のクーデターで権力の座につき、サブリージョンを不安定化した張本人であるブレーズ・コンパオレが、フランスから平和主義者と紹介されているブルキナファソでは?
・クーデターで権力の座につき、フランス軍の支援を受けているイドリス・デビが反乱の増加を放置し続けているチャドでは?
・1982年から大統領を務めるポール・ビヤが、反対するおよそ10名の命と引きかえに、権力に留まり続けるために憲法を修正したカメルーンでは?
・2005年の流血事件で権力の座についたエヤデマの息子が、1967年から続く体制を永続させているトーゴでは?
・父のあとを継ぎ、同じ方法で汚職と抑圧を行っているアリ・ボンゴのガボンでは?
・人権尊重の監視と西サハラの人々の保護を行うMINURSO(国連西サハラ住民投票監視団)のミッション拡大にフランスが反対し続けている間、西サハラ難民に対して軍事攻撃を行ったモロッコでは?
・フランスに支援された独裁者たちのいる、最近人々が蜂起しはじめたリビア、アルジェリア、(ゲレ大統領が3期目のために憲法を修正した)ジブチでは?
・クーデターを起こしたボジゼ大統領がやらせ選挙の末に「再選」したばかりの中央アフリカ共和国では?
・フランスがここ最近のクーデターの承認プロセスを支持したモーリタニアとマダガスカルでは?
こうした問いは、ダカール世界社会フォーラムでの議論の中で何度も繰り返されてきた。フォーラムでは、数十人のアフリカ人の参加者たちが、彼らの体制に対するフランスの支援について証言することができた。チュニジアとエジプトから始まった抵抗の風が発言の自由をもたらし、希望を抱かせたこの数日間、スュルヴィが10年前から催しの度に掲げてきた「独裁者たちへの支援をやめよう、アフリカの人たちを支援しよう」という横断幕がこれほど的確な指摘となり、ダカールほどの熱狂を呼び起こしたことはかつてなかった。
マグレブやそれ以外のアフリカの国々、またその他の世界では、フランスによる独裁者たちの支援に決着をつけなければならない。
連絡先:ステファニー・デュボワ・ドゥ・プリスク
stephanie.duboisdeprisque(a)survie.org 01 44 61 03 25