Billets d'Afrique et d'ailleurs 166号(2008年2月)
束の間の希望
10年ほど前から、コンゴ共和国(※1)東部は最も残虐な権力乱用と戦争、大量殺戮の舞台となっている。ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW※2)によれば、コンゴ軍と諸民族の部隊や民兵などの全ての兵力が、殺人、性的暴行、強制移住、財産の窃盗、強奪、破壊を行いながら、コンゴ市民の権利を侵害した。
国際救助委員会(IRC※3)の調査では、コンゴ民主共和国(※4)での紛争や人道的な危機は、1998年以来540万人の人々から生活を奪い、毎月4万5千人の人々を殺害し続けている。コンゴの全人口を6200万人以上と見積もった場合、この超過死亡率の大半は東部地方に関係している。コンゴ東部におけるおおよその人口を比較する必要がある。イツリ州には200万人、北キブ州には350万人、南キブ州には300万人の人々が住んでいる。つまり、これらの地域の住民の大部分が死んだことになる。ここに、170万人と推定されるコンゴ内部地域へ強制移住させられた人々の数を加えると、隣国へ避難した人々の全てを数えるまでもなく、強大な権力の利益を危機に晒すことのなかった主な理由に対する世界の無関心の中で繰り広げられる、今日最も大きな人道的惨事の黙示録的光景を私たちは見ている。殺戮が行われている間も権力の座は変わらない。コンゴに豊富にある貴重で高価な生糸の因襲的な略奪は無くなるどころか、戦争によって全ての交戦国にとっての収入源として増大した。
2002年の最初の和平合意(※5)の後、2006年と2007年に暴力行為の再発が明らかになった。1月6日から23日にゴマ市で行われた会議の結果、コンゴ人の反乱グループによって停戦のための誓約が締結された。かすかな希望が見え始めた訳だが、人々の物質的・社会的苦痛が回復するには時間がかかるだろう。対立した多くの犯罪や憎しみはどのように共存するのだろうか? コンゴの司教たちは、犯された犯罪の無処罰を保証する協定に対して警告を発した。激しく争われた恩赦についての条項は、武力を用いた反乱行為に限定された。戦争罪(※6)、人道に対する罪(※7)、そしてジェノサイド(集団殺戮)に対する罪(※8)はそこから除外された。
別の面では思いがけない喜ばしい出来事が、1月15日にフランスでまさしく「フランサフリック(※9)の死亡証明書にサインする」意志を表明した、ジャン=マリー・ボッケル(※10)協力・フランコフォニー担当閣外大臣の突然の発言によってやってきた。この重要な声明はそれ自体がひとつの断絶である。というのも、「フランサフリック」という言葉はかつてないほどに、いかなる現職のフランスの政治責任者によっても発せられていない。フランスのアフリカ政策は転換期にいるのだろうか? 私たちはこの斬新さが撤回されないだけでなく、意味のある行為に続くように願っている。ボッケルはアウゲイアスの牛小屋を掃除するヘルクレスのような器を持っているのだろうか? それを期待するばかりだ。
(オディール・トブネル)
※1:アフリカ中西部の人民共和国。首都はブラザビル。1960年にフランスから独立。
※2:ニューヨークに本部を持つ国際人権NGOの一つ。党派性を持たない活動を展開。
※3:International Rescue Committee
※4:アフリカ中央部の民主共和国。首都キンシャサ。1960年にベルギーから独立。
※5:プレトリア合意。南アフリカの仲介で成立。翌年7月、暫定政府が発足。
※6:ジュネーブ条約に基づく。占領地の一般人や捕虜を殺害、虐待するなど戦争関連法規と慣例に違反した罪。
※7:1993年に国連安保理事会が設置した旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷において規定された。一般住民に対して行われた、殺人、殲滅、奴隷化、強制移送、拷問、強姦、政治的・宗教的理由による迫害などがそれに該当する。
※8:ジェノサイド条約に基づく。国民的、民族的、人種的、宗教的な集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われる行為がそれに該当する。
※9:フランサフリック(Françafrique)とは、フランス‐アフリカ間の新植民地主義政策の下での犯罪的癒合関係。元シュルヴィ(Survie)代表のフランソワ=グザヴィエ・ヴェルシャヴによって命名。
※10:Jean-Marie Bockel(1950-)。社会党出身。弁護士。
PR
COMMENT