フランス=アフリカ関係/フランコフォニーを考えるためのブログ
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スュルヴィ(2015年1月12日)
シャルリー・エブドの風刺ジャーナリストと、2015年1月7日から9日にかけて犯された襲撃事件の被害者たちの殺人を前にして、スュルヴィとそのメンバーはみな悲嘆にくれている。しかしながら、この惨事にたいする連帯意識の熱狂的な高まり以上に、私たちは選別的な憤慨と、この事件をめぐって現在進行中の、一部の党首、政府の人間、論説記者たちによる政治利用に不安を感じている。
テロリズムとの戦いの名のもとで、すでに最高潮に達し、悪化する可能性がある治安・軍事政策を正当化するための「わたしたちの9.11」という表現。「文明」と「野蛮」という言葉の対置。繰り返し用いられる「戦争」という語。経験的に正当化されるサヘル地域や近東でのフランスの軍事介入。こうした偏向がここ数日のあいだにみられる。フランサフリックとその根底にある新植民地的・レイシスト的イデオロギーと闘うなかで、スュルヴィができることは、専らこうした新保守主義的な言説の爆発的な高まりにかかわることである。
さらに、アリ・ボンゴ(ガボン)やフォール・ニャシンベ(トーゴ)といったアフリカの独裁者たちや、チャド大統領イドリス・デビの大使が、1月11日にパリでおこなわれた行進に参加したことは、私たちには極めて下品なものにみえる。彼らがいつも踏みにじっている表現の自由という問題以上に、マリ大統領とニジェール大統領をふくむ彼らの参加は、アフリカ、とりわけサヘル地域における近年のフランスの軍事介入を正当化する目的をもっていたと推察できる。
1月11日が、テロリズムとの戦いの名のもとで、フランスがマリで戦争を仕掛けてからちょうど2年目であったことを思い起こさなければならない。さらに言えば、政府が国際協力というレトリックを予め使用し、サヘル地域の武装集団がフランスにとって脅威であることを正当化するためにそれを振りかざしたのも、マリにおけるこの軍事介入が開始された時であった。
2年が経過したが、この戦争の目的は達成されなかった。昨年8月以降、サヘル地域5ヵ国にたいするバルハン作戦によって戦争は続けられている。この作戦は憲法違反である。というのも、議会は初めの4ヵ月間をのぞくと、この作戦について議論することもなければ、その継続を決議することもなかったのだ。こうした軍事主義的な政治、アフリカにたいするフランスの介入、とりわけアメリカの新保守主義者によって作り上げられたテロリズムとの戦いの名のもとでの国際的な介入、ますます厳格になる移民管理、そして新自由主義経済に基づいた(社会保障予算や教育に影響を与える)政策によって、(こうした政策を擁護する)世論の先導者である現政府とその前任者たちは、いわば彼らが戦わなければならないと言っているテロリストたちの使命を作り出している。こうした危機的状況は、ここ数日耳にするいくつかの短い決まり文句(訳注:「私はシャルリー」など)に甘んじることのできない、複雑で骨の折れる議論をうながすものである。
賛辞の嵐と、シャルリー・エブドの一部の姿勢にたいする批判が繰り広げられる――それはこの事件を正当化するものではまったくなく、反対に表現の自由のための動員を強化するものである――なかで私たちは、殺された元編集長のシャルブが、2013年1月末のセルヴァル作戦開始後に彼が書いた記事のなかで、マリにおけるフランスの戦争にたいし辛辣かつ炯眼に立ち向かってくれるだろうと思う。彼の死は今、サヘル地域でのテロリズムとの戦いを正当化するために持ち出されている。
『シャルリー・エブド』(2013年1月19日号)に掲載されたもの。「オランドがフランスをマリに介入」「それって彼の公約じゃなかった?」
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