Billets d'Afrique et d'ailleurs 199号(2011年2月)
10年以上前から、ある人々によって繰り返し囁かれる決まり文句。それは、フランスが人道的で純粋な自己犠牲によって植民地化に身を捧げた後、悲しい運命を背負ったアフリカを見捨てた、というものである。
さらに、合理的な一貫性を欠いた同様の事柄が、自由な種間競争という進化論を通じて決まり文句を繰り返していることに注意しよう。これまでの歴史の中で、ご立派な演説をひけらかすことはもちろん、自らの利害を追求することも全くない国が一つでもあっただろうか。それとは反対に、アフリカにおけるフランスの軍事力と私利私欲の存在が次第に目立ってきていることを認めざるを得ない。それは専ら、フランスの執拗な干渉が明らかにする数多くの言い間違いによるものであろう。完全に不透明で傲慢な嘘にまみれた時代はほぼ過ぎ去った。
民衆による暴動を上手に鎮圧するために、チュニジアのベン=アリー体制への警察による支援を提案したミシェル・アリヨ=マリー外相を誰もが糾弾した。しかし彼女は、人々による反乱の鎮圧のために警察権力を使う、友人である全てのアフリカの独裁者たちとつながりのある、今日のフランスの政治システムにおける右派に所属していた。彼女を誹謗する者はそのことを知っておいたほうがいいだろう。さらに馬鹿げているのは、サルコジが現在に至るまでその存在を無視していたチュニジアの人々を、彼自身が発見したことである。以前は、チュニジアと言えばベン=アリー彼一人であった。
サルコジからコートジボワールのバボへの馬鹿げた催告をどう考えればいいだろうか。彼がバボに48時間以内に退陣するよう伝えたのは1ヵ月以上前の話だ。このことが明らかにするのは、政治情勢の現実と、独断的なフランスの姿勢の時代錯誤ぶりへの全くの無知以外の何ものでもない。フランスは、無自覚に準備された危険地域に執拗に火花を撒き散らしながら、常に問題の近くにいようとする。コートジボワールは、専制的に物事が決定されるだけの場である。
フランスの政治はアフリカの人々だけを危険に陥れるのではなく、その高慢さのせいでフランス人たちの生活も犠牲にしている。敢えて言わなければならない。軍事介入がニジェールの誘拐された若者たちを解放する可能性など微塵も無かった。まして、それが反乱を抑えることなど論外である。
反対に、とんでもない法螺吹きの言葉を借りて「国土を恐怖に陥れる」と主張するフランスは、反乱を激化させることになるだろう。そこでは、国全土が破壊しつくされ、もはや手遅れになってから発見されるであろう、反乱を拡大した有害な腐植土を完全に無視する盲目的な政策が進められている。AQMI(イスラーム・マグレブ・アル=カイーダ機構)はどこにでも現れる悪魔でしかない。
中央アフリカ共和国は全てのアフリカの国々の中で、1960年から何十年もの長い間、フランスの影響力が最も強かった場所である。そのため、フランス人のマンシオン大佐が1980年代から事実上国を統治し、今日までの全ての大統領がフランス軍の支援にのみ自らの政権維持を委ねた。ブアールにあるフランス軍基地は公的に閉鎖されたが、これらのことは何も変わらなかった。それはまた、存在しないも同然の国家があり、権力の唯一の拠り所が軍隊であり、現地の資源の略奪が、地球上で最低なものの一つである、人類の発展の名の下で際限なく行われる国である。
任期の切れたフランソワ・ボジゼは、第1回投票の結果を受けて政権に留まり続けることになるだろう。そして、選挙への財政支援を行ったEUとフランスは「満足な」選挙結果だったと述べるだろう。それでおしまいである。今回のケースで、完璧に飾られた外観の支配を覆い隠すために、完全に沈黙しボロを出さなかった私たちはまだ幸福な暗闇の中にいる。
中央アフリカでは何も起っていない、と。
(オディール・トブネル)
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