2011年1月27日(スュルヴィ・ジロンド)
チュニジアの歴史的な一日となった2011年1月14日は、おそらく祭日になるだろう。デモ参加者と機動隊との衝突から1ヵ月後、23年前から国家および自身の政党RCD(立憲民主連合)の頂点に立つ、独裁者ザイン・アル=アービディーン・ベン=アリーはチュニジアを去った。チュニジアの人々によるこの「ジャスミン革命」はまた、フランスによる偽善行為を彼らの前に示している。
スュルヴィとアタック(Attac)フランスは、アルジェリアとチュニジアの人々と連帯し、フランスの立場と同じ暴力的な鎮圧を告発するため、2011年1月12日から早速公式声明を出した。実際のところ、12月17日にモハメド・ブアジジが焼身自殺してからのフランスの沈黙は徹底しており、それは2011年1月11日まで続いた。にもかかわらず、フランス政界のお偉方による最初の干渉はいっそうスキャンダラスなものであった。
1月11日火曜日、ブルーノ・ル・メール農相はキャナル・プリュス(Canal+)の番組内で、「現地の状況を良く知り、何故そうした決定が下されたかを正確に理解する」ほうが良いと言明していた。同じ日、国民議会ではミシェル・アリヨ=マリー(MAM)外相が「暴力行為を遺憾に思う」と述べ、チュニジア警察に「フランス式ノウハウ」を提案した。そして、彼女が仕掛けた論争は、緑の党のセシル・デュフロ、社会党のマルティーヌ・オブリとピエール・モスコヴィッチらによる辞任要求を招いた。翌日、フランソワ・バロワン予算相・政府報道官はといえば、「これが、今日フランスがとるべきバランスのとれた立場だ」とあえて表明した。
フランソワ・フィヨン首相を通じて、フランスがチュニジア警察による「暴力行為の法外な行使」を非難したのは、ベン=アリー政権崩壊の前日の1月13日木曜日に過ぎない。また、フランス政府が「できるだけ早いうちの自由選挙」を求めたのも1月15日土曜日である。
そんな中、UMP(国民運動連合)では見解の不一致がみられたことを指摘しておこう。ディディエ・ジュリア下院議員は1月10日に、チュニジアでの事件に関する調査議員団の設置を求めた。また、ジェラール・ラルシェ上院議長は1月12日に鎮圧を非難した。左派陣営のほうは、かなり遅過ぎではあるが、ベン=アリー体制の政治を告発することで満場一致を示した。ここで、社会党所属で元大臣、また2007年11月1日からIMF(国際通貨基金)専務理事を務めるドミニク・ストロス=カーンが、2008年11月18日にレジオン・ドヌール勲章2等(グラントフィシエ)に昇級したことを思い出そう。彼は当時、「世界金融危機にもかかわらず、チュニジア経済はうまくいっている、[中略]経済政策は健全であり、多くの国々にとっての模範だと思う、[中略]チュニジアの政策に対するIMFの見解は大変肯定的である[中略]このまま正しく機能し続けるだろう」と表明した。もっとも、国際的なレヴェルで、RCDが社会主義インターナショナルから外されたのは2011年1月17日に過ぎない。
1月14日金曜日の独裁者の出国後も、フランスの政治家たちのところでは偽善行為が変わらず通用している。1月16日日曜日、フレデリック・ミッテラン文化相は「頻繁に言われるような、チュニジアが明らかな独裁だという考えは、私には全くの誇張に思える」と述べた。
予想通り国防相となったボルドー市長の言葉は同じ系譜の中にある。というのも、チュニジアが「安定した」国だったと考えるアラン・ジュペは、1月17日にオフレコで、「西洋の」国々は「警察国家」かつ「独裁国家に対するチュニジアの世論の激化を過小評価」していたと述べた。翌日のRTL(ラジオ)での次の発言はさらに驚くべきものであった。「政府が無能だったことはない」、フランスは自らの対応を「他の国々以上に」自己批判する必要はない!
今週1月24日月曜日、ニコラ・サルコジ大統領は(G8およびG20リーダーへの)記者会見で、UMP総裁ジャン=フランソワ・コペや総理大臣フランソワ・フィヨンを国民議会で指名したのと同じように、ミシェル・アリヨ=マリーの発言を支持すると表明し、何人もの若者たちの犠牲・自殺が、チュニジアの人々の「絶望」の度合を表すには不十分だったと打ち明けた!
本当のところを言えば、そのような苦しみを前に、今日のフランスの指導者たちの耳をふさぎ、目を閉じ、口を閉じたままにしているこの「頑なさ」は、彼らが普遍的な民主的価値ではなく、利己的な経済的利益を最優先にしてきたことを知っている我々にとっては驚くべきものではない。例えば、AFD(フランス開発庁)長官のドヴ・ゼラが、3日間のチュニジア公式訪問の際、2010年12月10日にエル・カンタウィ港で、シンクタンク機関IACE(アラブ企業経営者協会)によって開かれた第25回企業デーの開会式にVIPとして招待されたことが、こうした利害関係を明らかにしている。
サルコジが自己正当化するために引き合いに出す「歴史の重み」の中で、民主主義のための闘いに対するフランスのこうした醜悪な無為無策は、結局のところ、伝統的な偽善行為のひとつの表れでしかない。フランスの人々の一部が段々と拡大しながらこのことを自覚し、チュニジアの人々に続いて彼らが責任を負い、独裁者たちではなく、世界規模での民主化要求の全てを支持する代表者を選ぶ方法をつくることを期待しよう。
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