2011年3月12日(スュルヴィ、ジロンド)
リビアの人々は、自由を取り戻し、エジプトやチュニジアの人々が示した前例に続くため、今もまだ闘いの最中にいる。チュニジアでベン=アリーが権力を奪取した年と同じ、1987年から続く欺瞞に満ちた民主主義を追い払うために、ブルキナファソもこれらの国に続くだろうか?
この年、ブレーズ・コンパオレはトマ・サンカラを暗殺して大統領となった。サンカラとは、ミッテランと堂々と対等に話をし、自分たちやヨーロッパの列強の利益から、人々の利益を守った人物であった。
映画『トマ・サンカラ――清廉なる人物』より
Thomas SANKARA - Une Homme Integre 投稿者 raisonnez
2月20日、ジュスタン・ゾンゴという学生が、クドゥグ(※1)で警察に殺害された。クドゥグとゾンゴという名を耳にすると、1998年にコンパオレとその家族を調査するという誤りを犯したために殺された、クドゥグ出身のジャーナリスト、ノルベール・ゾンゴを思い出す。
公式には、ジュスタン・ゾンゴは脳膜炎(
原文通り)で死亡したことになっている。自然発生的に生まれたデモ行動は多くの地域に広がったが、常に国家権力によって鎮圧された。金曜日には、首都ワガドゥグーでデモ行進が組織されたが、これもまた鎮圧され、コンパオレ政権がもたらした死者のリストに新たに一人加えられた。
このコンパオレという人物は、権力の座に就いた時からフランスの支持を受けてきた(それは現在も続き、最近ではパリでサルコジと会談した。※『
ジューヌ・アフリック』より)。彼はまた、コートジボワール危機(※2)の仲介者でもあり、2000年代に起こった危機の際、新勢力(※3)に利益をもたらす武器の不正取引に関して多くの嫌疑をかけられている。24年前から大統領を務めているにもかかわらず、彼は民主主義という言葉の意味を未だ理解していないようだ(昨年11月、彼は“たった”80%の得票率で再選された)。リベリアで犯した犯罪のために現在裁判を受けているチャールズ・テーラー(※4)は、コンパオレがハーグでの国際刑事裁判を欠席したこと(※
関連記事)に疑問を抱いた。彼はリベリア内戦も支援していたからだ。
『サキエ』(ジェリバ)、ミュージック・クリップ
フランスはチュニジアやリビアで犯した過ちから学んでいるだろうか? アフリカにおける彼らの最も古いパートナーかつ共犯者たちのひとりから離れ、歴史を直視することができるだろうか?
訳注
※1クドゥグ:ブルキナファソ中部の都市。首都ワガドゥグーから西へ75km。
※2コートジボワール危機:1999年から続いている政権混乱と内戦。2010年11月28日に行われた大統領選の決選投票では、現職のローラン・バボ陣営と対するアラサン・ワタラ陣営がそれぞれ選挙の不正を訴え、互いに勝利を宣言し、双方が大統領に留まっている。
※3新勢力:反政府運動の連合体。2002年以降、コートジボワール北部を支配している。2007年以降は政府軍と合流するも、2010年の大統領選での混乱後はワタラ陣営を支持した。
※4チャールズ・テーラー(1948-):リベリアの政治家、元大統領。
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