忍者ブログ

フランサフリック情報ネットワーク

フランス=アフリカ関係/フランコフォニーを考えるためのブログ

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

5つの大きな改革の詳細

50 ans Françafrique Cétro(2010年5月31日)

5
つの大きな改革の詳細
 
より良く管理されたビジネス
アフリカにおけるフランスの多国籍経済活動をより良く管理するために、企業の社会的責任と環境(RSE)に関する非常に厳正な法律が政府により提案される。それは、タックスヘイブンを経由する資本をめぐる汚職や税金逃れに対する有効的な対策を可能にする実質課税の原則の義務付けである。国際競争が拡大するにもかかわらず、フランスがフランス語圏アフリカの国々における古くからの最初の外国投資家であったこと、またもちろんのことだが、貴重な原料の最初の輸出業者であったことを想起しよう。
 
開発援助の再検討
フランスは開発援助に関する計算方法を修正する。とりわけ、フランスの企業(「親密な支援」)による投資の際の条件付けられた総額、亡命した公務員の給料、およびサン・パピエの国外追放にかかる費用は、開発援助の中でもはや整合性を欠いている。直接予算による支援、その名にふさわしい「独裁者へのちょっとした寄付」、大統領親衛隊のような軍事技術支援は完全に廃止されるだろう。
 
外交上の大改革
これが大統領官邸の手帳を修正するものである! 専制的かつ退廃した全ての国家元首たちが、「人権の祖国の大統領」のもとでは政治的喧伝に目がないということを自覚するニコラ・サルコジは、自身のイメージの道具化に腐心するだろう。つまり、自身の大臣たちと同様に、フランス当局のところに堂々と現れることで正当と認められようとする独裁者たちとのより多くの対話を、といった形で。しかし、こうした欲求はそれ以上の展開をもたらす。フランスはもはや選挙管理の任務を一方的に行わず、多国間的な枠組みにあわせて行動することになる。従って、ごまかしの選挙の当選者を公的に認めるために奔走することをやめるだろう。
 
CFA(アフリカ財政金融共同体)フランの解消
未熟な権力者のためにはあまり派手にやらずに、という改革のこの一面は、しかしながらCFAフラン圏の約15ヶ国においては経済的な激変をもたらすだろう。UEMOA(西アフリカ経済通貨連合)およびCEMAC(中央アフリカ経済通貨共同体)に関わる主要な銀行の財政管理審議会において僅かな資金凍結を自由に行うことができるパリは、一方的にかつ無条件にCFAフランを取りやめるだろう。そして、フランスの公的財産取引の会計の中で、こうした国々からの輸出にかかる収益の50%分の支払いをもはや要求しないだろう。私たちはまだ、CFAフランがアフリカの地域統合通貨である続けるのかどうかを知らずにいるが、こうした決定は今後、アフリカ人たちだけのものになるだろう。確かなことは、CFAがユーロに繋ぎとめられることはもはやないということだ。それにより、アフリカの農民たちは欧州通貨政策の危険性に耐えることから逃れられる。そして、ヨーロッパへの財政の流れは、アフリカの国々の間での貿易を犠牲にする形で優遇されることはないだろう。
 
フランス軍基地の閉鎖と外交活動の議会レヴェルでの管理
これは、2008年にニコラ・サルコジによって発表された改革の結果であると思われ得るかもしれない。そこでは、フランスとそのいくつかの旧植民地とを結び付ける防衛協定の再交渉が行われていた。しかし、今回発表された改革はそれとは大きくかけ離れている。大統領は今後、フランス軍がアフリカ大陸で単独では何もできないという原則に基づくのだ。また、セネガル、ガボン、ジブチのフランス軍基地の即時かつ完全な閉鎖も伝えられた。こうして、1986年以来のチャドでの「一時的な」軍事行動が終わりを告げる! その上、外国へのフランスの軍事介入は、社会全般の利益にふさわしいものでなければならない。ガラス張りに少しだけ近づいた、参謀部の将校たちのほんの一部がそれを代表することはできないだろう。憲法上の改革は今後、あらゆる外交活動を始める前に、行政府にフランス議会の承認を得ることを義務付けることになる。ついに、大統領官邸に直接的に従属するエリート部隊の集合体である特殊作戦司令部(COS)は解散させられるだろう。
(ステファン・スミス)
PR

フランスとアフリカの間で変わること

50 ans Françafrique Cétro(2010年5月31日)

フランスとアフリカの間で変わること
 
 私たちの国とお決まりの“優先地域”との間の経済、外交、軍事関係を根本的に改善するために、政府に委ねられた手段に関する書類について詳しく説明することで、ニコラ・サルコジが驚くべきことを打ち立てたのは、第25回アフリカ=フランス首脳会議においてである。この180度の方向転換を正当化するために、大統領は夫人のカーラ・ブルーニによる西アフリカへの人道的投資に心を打たれたと打ち明けた。彼女は最近、アフリカの貧困を減少させるために、世界で最も裕福な女性メリンダ・ゲイツの傍で活動していた。カーラ・ブルーニ=サルコジはそこで、貧困には政治的な原因があり、従って、とりわけ北側諸国で行動しなければならないのは、何よりもまず政治の分野においてであると自覚し、夫にメッセージを伝えたのだった。そして、旧領土との強い依存関係を維持し続けてきたフランス語圏アフリカの多くの国々については、特にフランスで行動する必要があると。それはまるで、独立50周年記念式典の際のシンボルとでもいえるほどのものだ。「2010年は本当の脱植民地化の年になるだろう」。サルコジ氏に言わしめたことは、よく知られている皮肉である。
(ステファン・スミス)
 

おとぎ話

おとぎ話
 
 「アフリカの年」50周年はやっとのことで進んでいる。その先駆者であるジャック・トゥーボンは、子どもたちに歴史を語る責任がありながら、フランスの植民地帝国が拡大していた場に独立国家をいとも簡単に作らせた優れた魔法使い、シャルル=ド=ゴールと同様に、自身の物語をなかなか上演しようとしない。
 
 神話は急速に力を失いつつあり、あまりにお粗末であると同時に面白みのないものであるために、消え去りつつある。そして、都合の良い神話である、間違いは不運または「アフリカの人間」のせいだ、という50年間のペテンを経た今、大した成果もないのに、解決が試みられたなどということを、もはや誰も信じない。
 
 しかし、世論は神話を貪る。つまり、そこには絶えず新しい食料、新しい言葉を与える必要がある。過去を忘れ、現在と未来を想像しよう。例えば、持続可能な開発について語ろう。こうした考えの裏にあるものについて誰も良く知らず、従って、私たちはそれを定義しようとはしないだろう。そこでは、好きなように考えるだけでいいのだ。そこにはまた、フランス語圏アフリカの独裁者たちに、彼らの紋章の金箔を貼り直すことを持ちかけるという、持続可能な開発についてのフォーラムがある。それは、様々なお偉方がテーマについてあれこれ言うために招待される、出来合いの討論会である。
 
 資金は全ての独裁者や、新たなタルティーヌおばさんとなったいくつかのスポンサーから提供される。2008年にはドニ・サスヌゲソのコンゴ共和国で、2009年にはブレーズ・コンパオレのブルキナファソでそれが行われた。次は誰の所であろうか? 一般大衆には教育的なテレビが作られる。たくさんのテーマに関して科学の通俗化を行う『とっても簡単』という愉快な番組は、大規模な広告宣伝という企ての中に迷い込んだところだ。この番組の控えめで衒いのないコンセプトは、持続可能な開発を行いながら、アフリカの森をどのように開発し続けるかを説明することを目的とする、ゴールデンタイム向けの巨大なマシーンに変わった。『ジャングルへの道のりで』と同じくらいショッキングなタイトルとして、『タンタンのコンゴ探検』を避けることはできない。こうした点では、十分に成功している。持続可能な開発にとって、それはまさしくマークの問題なのだ。
 
 FSC(森林管理協議会)マークを外すためには、現地の人々が自分たちの森の運命を自らの手で決めるということを、理論的に示さなければならないだろう。そもそも、この高名なマークの交付を妨げないというのは全くの見当違いである。このことは、私たちが現地の人々に今後どのように関心を持っていくかということを示しているに過ぎない。それは、1930年代の記録資料と同レベルの民族学的、地理学的舞台を、当時と同じ幻想とともに私たちにもたらすものである。
 
 森林開発の利益を賞賛するこうした企てのゴッドマザーは、放送に出資するフランス開発庁(AFD)と、地方のコミュニティラジオに出資するジャック・シラク財団である。それは非常に予測可能であるから、私たちが10年後に現場に戻り、もはや森は無く、人間による開発の影がなかったとしても、私たちには既に準備された答えがある。それは、80%の木材を料理用の木炭に加工するアフリカ人たちに原因がある、というものである。この馬鹿げた虚言は、陰でこっそりと広まる神話の一つである。その作為性は、おとぎ話に取り付かれた心の中にそれを植えつける役にしか立たない。
 
 危険な悪夢の中と同じように、良い妖精は、慈善好きの婦人たちの微笑みの下で仕えるカラボスの妖精たちでしかないだろう。彼女たちは、金への変わらぬ崇拝を絶やさぬために自然を砂漠に変え、人間をゾンビに変える。
(オディール・トブネル)

フランス政府による16年間の拒否は、ツチ族へのジェノサイドにおける、フランスの政治・軍事権力の役割を認めている

フランス政府による16年間の拒否は、ツチ族へのジェノサイドにおける、フランスの政治・軍事権力の役割を認めている(2010年4月7日)

 1994年のルワンダのツチ族に対するジェノサイドから16年、また、1998年の議員情報団(※1)からおよそ11年経った今、当時のフランスの政治・軍事指導者たちが大虐殺の実行者たちを――ジェノサイドの前、最中、そしてその後も――支援していたことを私たちが知っているという事実の大部分は、何人かの研究者、団体、市民らの活動に負うところが大きい。
 
 フランス政府は拒否権と機密保護を行使し、時間とともに真実と正義を葬り去りたいと願っている。それは、ユダヤ人の強制収容所への移送に関してヴィシー政権が果たした役割や、アルジェリアでの拷問行為の制度化についてのフランス政府と高級士官たちの役割が、50年間否定されていたのと同じである。
 
 フランスがジェノサイドの実行者たちを政治的、外交的に支援したこと、彼らに武器や軍事訓練を供与したこと、彼らが儲けるがままにしたこと、彼らを司法から遠ざけようと手助けしたことは、今日明らかとなっている。
 
 16年が経過し、そのような支援がどのように行われ得たのかを理解するには、うやむやな部分が多く残されている。フランスの政治家は誰一人として責任を問われなかった。彼らが政権の中枢で、ジェノサイドを犯した人々を支援することを可能にした時でさえも、私たちの体制はいかなる影響も受けなかった。最近のフランスとルワンダの接近は、下劣なギブ・アンド・テイクである。それは、意図的な記憶喪失と相互的な自己健忘であり、一方では、ルワンダ、コンゴ民主共和国、およびその他の地域で、FPR(ルワンダ愛国戦線、現与党)によって犯された殺人について、他方では、ジェノサイドの際のフランスの役割について為されている。
 
 法的な視点から想起しておこう。「たとえ、国民、民族、人種、宗教集団そのものを、完全に、あるいは部分的に根絶するつもりがなかったとしても、その、あるいはそれらの人々がジェノサイドを犯していたことを知りながら、それを承知の上で、かつ故意に、彼(ら)がジェノサイドを犯すことを支援し、援助し、またそうするように仕向けたならば、被告人はジェノサイドの共犯者である。」(※2)
 
 Survie(スュルヴィ)は、フランス軍がルワンダ人に対して犯した可能性のある違反行為について、某氏がパリ軍事法廷(TAP)で告訴され、予審中であることを伝えたい。そこでは、ヘリコプターから計画的に投入された人々、強姦、虐待、活動を続けた武装した虐殺実行者たちが問題となっている。しかし、審理によって公開が要求された資料の一部について、政府は機密を取り除くことを拒否した。それほどまでに危険な資料には何が書かれているのだろうか? 16年経過した古い資料の内容のせいで、まさか国防が危険に晒されるというのだろうか?
 
 一方で、とりわけ、雑誌『21』のジャーナリスト、ジャン=フランソワ・デュパキエや、『ウォール・ストリート・ジャーナル』のセルジュ・ファルネルの仕事によって、いくつかの新しい情報が明らかになったところである。多くの一致する証言によると、フランス軍兵士は、トルコ石作戦の1ヶ月前の1994年5月半ばに現地におり、隠れていたツチ族の人々を掃討するのを支援した。
 
 Survie(スュルヴィ)は行政およびフランスの国会議員に以下のことを要求する。
 
・ルワンダでのフランスの活動に関連したあらゆる情報に関する機密、およびジェノサイドの実行者たちについての機密の解除
 
・より一般的には、全ての記録文書の公開
 
・議員調査委員会の設置
 
 ジェノサイドの実行者と思われる多くの人間が、フランス国内で暮らし続けている。最初の告訴は1995年にさかのぼるが、それらジェノサイドの容疑者たちが未だに裁かれることのないまま、現在も数多くの審理が行われている。Survie(スュルヴィ)はまた、以下の点を要求する。
 
・訴訟手続きにおいて、ジェノサイドの容疑者に関する資料公開を可能な限り早急に進めること
 
・今のところ、この件に関する全ての活動は諸団体によってしか行われていないため、ジェノサイドの容疑者捜査を展開するのは、フランス政府であるようにする
 
・ルワンダ解放民主軍(FDLR)(※3)への支援を明らかにするために、国連からの請願に回答し、この組織がフランスから通信あるいは活動できることを防ぐ
 
 最後にSurvie(スュルヴィ)は、フランス政府当局が行われたことから教訓を引き出し、私たちの体制の機能に不可欠である変化を実現することを要求する。(1998年の)議員報告書とそこにある主な勧告は、とりわけ最も重要な点について、相変わらず実施されていない。それは、フランスの外交政策に関する、特に軍事政策に関する、本当の意味での議会による監視制度の創設である。共和国大統領にとって、拒否することは、政府と議員が、「深刻な認識不足」や犯された「政治上の失敗」が――今年の2月、首都キガリでニコラ・サルコジによって公式にそう認められただけである――、結局のところ重要ではなかったと考えていることに等しい。体制の機能を変えるという義務が残されている。
(オディール・トブネル)
 
※1:この団体は、ジェノサイドの際のフランスの役割についての真相を明かし始めたが、捜査権をさらに持つ議員調査委員会であれば実現できるはずの仕事をすることはできなかった。
 ※2:ルワンダ国際戦犯法廷(TPIR)による定義。これは、TPIRの法的資格を活用するために、フランスの裁判所に権限を与える1996年5月の法適用によって、フランス法に適用されている。
 ※3:多くのジェノサイド実行者を結集するフツ族の過激派。コンゴ共和国東部で活動する。

束の間の希望

Billets d'Afrique et d'ailleurs 166号(2008年2月)

束の間の希望

 10年ほど前から、コンゴ共和国(※1)東部は最も残虐な権力乱用と戦争、大量殺戮の舞台となっている。ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW2)によれば、コンゴ軍と諸民族の部隊や民兵などの全ての兵力が、殺人、性的暴行、強制移住、財産の窃盗、強奪、破壊を行いながら、コンゴ市民の権利を侵害した。
 国際救助委員会(IRC3)の調査では、コンゴ民主共和国(※4)での紛争や人道的な危機は、1998年以来540万人の人々から生活を奪い、毎月45千人の人々を殺害し続けている。コンゴの全人口を6200万人以上と見積もった場合、この超過死亡率の大半は東部地方に関係している。コンゴ東部におけるおおよその人口を比較する必要がある。イツリ州には200万人、北キブ州には350万人、南キブ州には300万人の人々が住んでいる。つまり、これらの地域の住民の大部分が死んだことになる。ここに、170万人と推定されるコンゴ内部地域へ強制移住させられた人々の数を加えると、隣国へ避難した人々の全てを数えるまでもなく、強大な権力の利益を危機に晒すことのなかった主な理由に対する世界の無関心の中で繰り広げられる、今日最も大きな人道的惨事の黙示録的光景を私たちは見ている。殺戮が行われている間も権力の座は変わらない。コンゴに豊富にある貴重で高価な生糸の因襲的な略奪は無くなるどころか、戦争によって全ての交戦国にとっての収入源として増大した。
 2002年の最初の和平合意(※5)の後、2006年と2007年に暴力行為の再発が明らかになった。16日から23日にゴマ市で行われた会議の結果、コンゴ人の反乱グループによって停戦のための誓約が締結された。かすかな希望が見え始めた訳だが、人々の物質的・社会的苦痛が回復するには時間がかかるだろう。対立した多くの犯罪や憎しみはどのように共存するのだろうか? コンゴの司教たちは、犯された犯罪の無処罰を保証する協定に対して警告を発した。激しく争われた恩赦についての条項は、武力を用いた反乱行為に限定された。戦争罪(※6)、人道に対する罪(※7)、そしてジェノサイド(集団殺戮)に対する罪(※8)はそこから除外された。
 別の面では思いがけない喜ばしい出来事が、115日にフランスでまさしく「フランサフリック(※9)の死亡証明書にサインする」意志を表明した、ジャン=マリー・ボッケル(※10)協力・フランコフォニー担当閣外大臣の突然の発言によってやってきた。この重要な声明はそれ自体がひとつの断絶である。というのも、「フランサフリック」という言葉はかつてないほどに、いかなる現職のフランスの政治責任者によっても発せられていない。フランスのアフリカ政策は転換期にいるのだろうか? 私たちはこの斬新さが撤回されないだけでなく、意味のある行為に続くように願っている。ボッケルはアウゲイアスの牛小屋を掃除するヘルクレスのような器を持っているのだろうか? それを期待するばかりだ。
(オディール・トブネル)
 
1:アフリカ中西部の人民共和国。首都はブラザビル。1960年にフランスから独立。
2:ニューヨークに本部を持つ国際人権NGOの一つ。党派性を持たない活動を展開。
3International Rescue Committee
4:アフリカ中央部の民主共和国。首都キンシャサ。1960年にベルギーから独立。
5:プレトリア合意。南アフリカの仲介で成立。翌年7月、暫定政府が発足。
6:ジュネーブ条約に基づく。占領地の一般人や捕虜を殺害、虐待するなど戦争関連法規と慣例に違反した罪。
71993年に国連安保理事会が設置した旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷において規定された。一般住民に対して行われた、殺人、殲滅、奴隷化、強制移送、拷問、強姦、政治的・宗教的理由による迫害などがそれに該当する。
8:ジェノサイド条約に基づく。国民的、民族的、人種的、宗教的な集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われる行為がそれに該当する。
9:フランサフリック(Françafrique)とは、フランス‐アフリカ間の新植民地主義政策の下での犯罪的癒合関係。元シュルヴィ(Survie)代表のフランソワ=グザヴィエ・ヴェルシャヴによって命名。
10Jean-Marie Bockel1950-)。社会党出身。弁護士。

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

フリーエリア

最新CM

[12/20 Mathieu]
[12/20 Mathieu]

最新TB

プロフィール

HN:
takeshijo
性別:
非公開
自己紹介:
フランス=アフリカ問題に取り組む、フランスの市民団体 Survie(スュルヴィ)の情報を日本語で発信しています◎不定期更新

ご質問、お問い合わせはブログ管理人(中條健志)まで⇒ takeshijo(あっと)nifty.com 誤訳等のご指摘はコメント欄へ☆

【翻訳・掲載許可を得ています】

バーコード

ブログ内検索

P R

カウンター

アクセス解析

Copyright ©  -- フランサフリック情報ネットワーク --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]