Billets d'Afrique et d'ailleurs 134号(2005年3月)
2005年2月1日付『リベラシオン』紙によると、「ジャン=ピエール・ラファラン首相は、チュニジアへの2日間の公式訪問の中で、10月に94.5%の票を獲得し再選されたチュニジア大統領の熱烈な信者を自任した」。これまでの「選挙」を思い出そう。生涯大統領であり続けたいベン=アリーの力で、反対派の逮捕という新しい波が起こり、憲法が改変されてきた。数年前、ジスカール・デスタン元大統領が「ハサン2世(※1)とは仲が良い」と表明したように、ラファランは殊勝げに「私たちが愛し合い、理解し合うのは当然です」と打ち明けた。その理由として、ベン=アリーの側近たち(と独裁者である彼自身)がフランサフリックの世界と維持しているビジネス関係を疑いなく挙げることができる――フランスの司法の心遣いにより、パスクワの息子(※2)をチュニジアに逃がしていること(※3)などが物語っている……。お決まりの表現を使うと、「2国間の通商関係」のセールスマンには、地球上で最も全体主義的な国家の一つを前にすると、それほどまでに我を忘れて夢中になってしまうほど素晴らしい理由があるのだ。フランスサフリックの防波堤にアメリカの利害が絡んできたときなど特にそうである。「シラク大統領とベン=アリー大統領は世界に対する共通のヴィジョンをお持ちです」とラファランは睦言を交わす。驚くような話だろうか? 彼のような他の多くの独裁者のように、スーパー・コップ、ベン=アリーは、フランスの防衛大学で理論化された「破壊活動防止」方法を教え込まれている。彼は拷問行為に躊躇することなく、人々への強行的な碁盤目警備を押し進めた。我らが首相はさらに、「私はチュニジアとチュニジアの人々を愛しています」と断言する。何人かのチュニジアの人々は同じ感情を持っているが、全員ではない、と断言しよう。反体制派のタウフィック・ベン・ブリックが、2000年のハンストの際に述べた言葉を思い出そう。「非常に長い間、ベン=アリーの卑劣な体制の最も忠実な支持者だったジャック・シラクを非難します」。我々がすべきことは、投獄された民主主義者たちの「世界に対する共通のヴィジョン」をより自発的に共有し、アフリカの民主主義の殺し屋たちに対する、フランス当局の活発な支援を告発し続けることである。
(ヴィクトール・セーグル)
訳注
※1ハサン2世(1929-1999):モロッコの元国王(在位期間:1961-1999)
※2ピエール=フィリップ・パスクワ(1948-):元フランス内務相(1986-88、1993-95)シャルル・パスクワ(1927-)の息子。
※3 1993年から1995年にかけて起こった、フランスの重電・輸送機器大手のアルストムをめぐる汚職事件(通称「アルストム事件」)に関与していたピエール=フィリップ・パスクワは、当時チュニジアに逃亡していた(2000年以来)。その後、彼は2006年1月に業務上横領隠匿罪で起訴され、2007年9月にフランスに帰国し、その翌々月に懲役2年および罰金30万ユーロを言い渡された。
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