Billets d'Afrique et d'ailleurs 121号(2004年1月)
2003年12月6日付『ル・ソワール』紙(訳注:ベルギーの日刊紙)、「ジャック・シラクにとっての人権」(ボードゥアン・ルース記者)より。
フランスは人権の祖国といわれる。その国の住人たちはそのことを自慢する。指導者たちはその心地良い評判を誇る。フランス大統領のジャック・シラクは、熱心かつ雄弁にその価値観を体現する。ああ! そうしたことの全てが、妥協による汚い現実を覆い隠すには不十分なこともあるのだ。チュニジアに関する、大統領の声明がそれを証明している。
ベン=アリー大統領のチュニジアで、ラディア・ナスラウィの事件以後、シラクは人権の尊重を口にしようと焦っている。チュニジアの弁護士であるナスラウィ氏(訳注:人権擁護活動家)は、彼女もその犠牲となった、警察による嫌がらせをやめさせるため、51日間ハンストを続けている。シラクはこう漏らした。「人権とは何よりもまず、食べること、治療を受けること、教育を受けること、そして住まいを持つことです」。
フランスでもチュニジアでも、多くの人々が錯覚だと思った。[中略]事実は単純で、手におえず、教訓的で、かつ恐ろしいものである。確かに、チュニジアでは大部分の人々が食事をとり、治療を受け、学校へ行き、住まいを持っている。しかし、チュニジアの人々はいかなる自由も享受しておらず、それは法治国家と民主国家を裏切っている。非常な警察国家に住む人々は、独立した司法に頼ることができず、表現の自由、集会の自由、政治活動の自由、報道の自由がない。
人権問題に取り組む当局のあらゆる機関は、パリ同様チュニスとも同じ立場である。つまり、人権を食べることと沈黙することとしか思っていないフランス大統領は、チュニジアの人々に対する信じられない思い違いを晒したのだ。踏みにじられた自由とともに、チュニジアの人々は今、自らの誇りも踏みにじられている。
2003年12月3日、チュニジア大統領ザイン・アル=アービディーン・ベン=アリーとの会見の後、シラクは報道陣たちに滑稽な間違いを犯した。「フランスにもハンストをした人々、している人々、するであろう人々がいます」。「新興国の中でも、チュニジアの情勢はとりわけ輝かしいものです」。ラディア・ナスラウィは、大変控えめに述べられたこの呆れるほどの失念ぶりを高く評価した。「食べなさい、そして黙りなさいなどと言えないはずです! 自由と誇りは最も大切なものです」。チュニジアの人々に対するシラクの侮辱は、チュニジアにいる中産階級の存在によって説明されるのだろうか? 我々の大統領は、間違いなく自分たちの製品を売りたい実業家たちと同行していた。密かに仕事をするために……。
(シャロン・クルトゥー)
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