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論説:価値のない外交政策

Billets d'Afrique et d'ailleurs 200号(2011年3月)

チュニジアのベン=アリーとエジプトのムバラクという2人の独裁者を追放した、予期せぬものではあったがそれでも予測可能だった、人々による蜂起は、フランスの政治と、腐敗し専制的と見なされた体制との関係の恥ずべき側面のうちのいくつかを明らかにした。サルコジが言ったように、あらゆる国々とのなくてはならない外交関係が問題なのではなく、我々の政権担当者たちが貧しい国々の相応しくない指導者たちと築いた犯罪的な親交が問題なのである。
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こうして、フィヨン一家がエジプトで過ごした前回のヴァカンス(訳注:2010年末、ムバラクの招きで同国を旅行した)は、価値のないサミットのように歴史に残るだろう。我々の首相が、貧しい人々の汗と拷問された人々の血が染み込んだ贈り物を受け取っていたなら、彼は我々に筆舌に尽くしがたい恥ずかしさを押し付けていることになる。
 
フランソワ・フィヨンの惨めな弁明――今回の特別待遇を断ることは他国の名誉を汚すことであった、というもの――は、滑稽であると同時に軽蔑すべきものである。実際のところ、フランスを、明らかに最も腐敗した政権にとって欠かせない存在にする政治的妥協と、フランスの外交政策とを一つのものにすることで、我々がこれ以上堕落することはまずない。
 
ニコラ・サルコジは彼の大臣たちに、今後はフランスでヴァカンスを過ごすようにすすめたらしい。しかしながら、彼自身も2010年12月末、人権尊重国家の模範とはいえないモロッコで静養していた。我々が「我々の価値観」の名において非難すべきことは、権力との共謀関係を身を挺して築くことである。
 
外交という視点からみると、フランスは衰退しているようだ。難点は、それを嘆く人々が、それに最も一役買っている人々だということである。2月16日付の『カナール・アンシェネ』紙は、ミシェル・アリヨ=マリーの友人であるチュニジアの大金持ちが出資し、共同運営している地中海世界経済予測研究所(Ipemed)などという組織の存在を明らかにしている。元大臣のエリザベト・ギグ(社会党)はその後援団体を主宰し、彼女の夫(訳注:ジャン=ルイ・ギグ、研究者)はIpemedの代表を務めている。ユベール・ヴェドリーヌ(訳注:社会党の政治家)とアラン・ジュペ(訳注:事実上更迭されたアリヨ=マリーの後任として、2月27日から外相を務める)らも、有用というより間違いなく金になる、フランスの外交政策に寄生するこの組織に参加している。この2人は共にフランスの対外政策の責任者であった。ヴェドリーヌは病気のミッテランの傍らで大統領府事務局長を務め、ジュペは彼らが後ろ盾となっていた体制によって犯された、1994年のルワンダでのツチ族に対する大虐殺の際に外務大臣を務めていた。彼らがフランスの外交政策にとって最も好ましい看板ではないことが分かる。
Edito02.png 
既に失脚した後の独裁者たちと縁を切り、勝利が確実になってから現場へ駆けつけることは、フランスにとって名誉なことではない。人々の目の前で崩壊してしまわぬよう、フランスが自身の無価値さを自覚することを我々は望んでいる。カメルーンの終身大統領ビヤにおもねるジュペとロカール(訳注:社会党の政治家/名:ミシェル)や、コンゴ共和国の罷免されない大統領サスヌゲソにへつらうトゥーボン(訳注:UMPの政治家/名:ジャック)らは、軍事力によって支えられた政権に忍従する国々における、フランスのイメージを大いに損なわせることに一役買っている。
 
犯罪的権力に媚びることによって、フランスの威信を失墜させることになる政策があり、また、政策の卑劣さと共謀ぶりが忠実に反映される外交人事もある。
 
ジャン=クリストフ・リュファン(元ダカール大使)のように、フランスの外交政策の悪習を暴露した(訳注:2008年12月、彼はセネガルの政治に批判的な発言をした)後で免職になる(訳注:2010年6月)のを待っていたのは――彼がフランサフリックのシステムを何も知らなかったとは思えないが――、政治的に勇敢だったというより、遺恨を持っていたからであるように思える。彼は人にへつらうというこの仕事を断るか、いずれにしても、彼に期待されていたことを彼が自覚した時から、この仕事を辞めていればよかったのではないだろうか。
 
崩壊しかかったベン=アリー政権の安定を主張したために非難を浴びたチュニジア大使のピエール・メナは、我々が知りたかったことをべらべらと喋っていた。彼の後任はもっと上手かった。2月16日に就任したボリス・ボワロンは、自分の横柄な青二才ぶりを晒すのに2日とかからなかった。彼は見苦しいほど謝罪しなければならなくなるくらい、チュニジアの報道陣を叱り付けた(訳注:ベン=アリーとアリヨ=マリーとの関係を質問したジャーナリストに対して)。ロミュアルド・レトンド中佐に続き(参照記事←未訳)、彼はアフリカにおけるフランスの役人の酷くかつ時代遅れな態度という変わらぬイメージを再現している。
 
フランスの外交政策は歴史に刻まれうるのだろうか?
 
(オディール・トブネル)
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