Petit guide de la Françafrique
大統領ニコラ・サルコジとその右腕であるクロード・ゲアンは、ともにシャルル・パスクワを助言者としている。実際、パスクワはゲアンを内務省官房長補佐官に、続いて、国家警察総局長に任命した(訳注:ともに1994年)。それは、1995年のイスラム原理主義者によるテロ行為の数週間前のことであった。ENA(国立行政学院)出身のこの高級官僚は、この頃すでに、国内外の諜報機関とともに深い情報網を築いていた。2002年、パスクワの助言を受けたサルコジ内相によって彼は内務省に呼び戻され、官房長を務める。それ以来、彼はニコラ・サルコジの下を離れることなく、大統領官邸へと行き着く。そこでは、当然のごとく大統領府官房長官という戦略的なポストに就いた。すぐさま彼は、ひとりの有名な前任者と同じ衣装を身にまとう。ある高級官僚によると、彼は「以後、アフリカ問題と諜報活動に関する非常に高い権限を同時に手にしている。それは、ジャック・フォカール(訳注:1960年から1974年まで大統領府アフリカ問題担当次官を務めた、フランサフリックの立役者)の時代のようだ」。ジャーナリストたちがその実に精力的な外交活動に驚くと、彼は「以前からこの程度だったでしょう。違いますか?」と軽く答えた。というのも、彼のボス同様、ゲアンはとにかくどこにでも顔を出していた。外交政策もそのひとつで、国家元首やその密使たち(有力者であるロベール・ブルジもそこに含まれる)とのパリでの会合や、公務以外の国外旅行を密かに繰り返した。それは、「会議中、彼の旅行に遭遇することがしょっちゅうあります。」という風に、外交官たちを苛立たせるほどであった。
「古くからの友人であり、私たちの国に多大な貢献をしてくれた人びとと仲たがいすべきではありません」と述べる彼は、大統領官邸の「革新的な」外交官たちを、彼に忠実なフランサフリック・ネットワークの支持者たちに少しずつ置きかえていった。フランスのアフリカ政策に絶対的な権力を持つ彼は、ブルガリア人看護師の解放をリビアで交渉するため、アンゴラゲート事件後のアンゴラとの亀裂を修復するため、武器輸出のための貿易活動をコーディネートするため、ボンゴ親子のガボンとの大統領同士の「友情」を維持するため、ルワンダとの外交関係を立て直すため、そして、モーリタニアとマダガスカルの軍事クーデター推進者たちへの「フランスの支援」を保証し、彼らとの永続的な関係をおろそかにしないために、じかに行動している。
2011年のはじめ、移民・統合・国家アイデンティティ・連帯開発省が廃止された後の省庁再編で内務大臣に抜擢された彼は、フランスの「移民流動管理政策」のなかで、再入国許可に関してアフリカの国々と協定交渉をするために、公式の代表者となった。
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