Billets d'Afrique et d'ailleurs 200号(2011年3月)
アンリ・エマニュエリ(※1)は2008年に、開発援助に関する国民議会財政委員会の報告書の中でこう述べている。「開発プロジェクトへの予算が欠乏しているなかで、あなた方の特別報告者は、リビアが優先連帯地域(ZSP)(※2)に属している訳でも、フランス開発庁(AFD)の介入範囲にある訳でもないのに、リビアのベンガジに新しくできる病院の設備へ出資するために、AFDが3000万ユーロを寄付しなければならないだろうと強調しています」。
2008年12月4日付の『メディアパール』(※3)では次のように指摘していた。「ベンガジとはまさしく、昨年解放された――パリとトリポリとが再び親密になっているサインである――(ブルガリア人)看護師たち(※4)が勤務していた病院のある場所です。身代金は少なくとも3000万ユーロでした。(おっと失礼! それは“寄付金”です)」。
訳注
※1アンリ・エマニュエリ(1945-):社会党の議員。
※2優先連帯地域:フランスが「持続的開発」と「連帯」の名の下で国際協力を行う対象に指定した開発途上国。指定されている55ヶ国のうち、43ヶ国がアフリカの国々。
※3メディアパール(Médiapart):フランスのインターネット新聞。http://www.mediapart.fr/ 2011年2月12日、「ウィキリークス」のパートナーとなった。
※4ベンガジの病院で働いていたブルガリア人看護師5人と医師(パレスチナ人)1人が、子どもたちをエイズ・ウィルスに感染させたとして死刑判決(2004年5月)を受けた事件。2度の死刑判決を経て、2007年、リビアの高等司法評議会は、EUから被害者へ保証金が払われることで終身刑へ減刑。その後、同年7月4日に全員釈放された。その際、フランスとリビアの間で政治的・金銭的な裏取引があったといわれている。看護師らが「感染させた」という証拠は無く――6人が勤務する前から病院内では感染が始まっていたと指摘されている――、冤罪事件とみられる。全員が無実を主張し続ける間、数多くの拷問が行われた。