スュルヴィ(2011年10月13日)
多くの不正行為が指摘され、29年前から権力の座にいる国家元首に憤慨したカメルーンの有権者たちによる大規模なボイコットがあったにもかかわらず、アラン・ジュペ外相は大統領選を「容認できる」ものだと述べた。歴史に逆らうかのように、また、チュニジアやエジプトでの革命後に為された空約束にさえ反して、フランス外交は、アフリカ大陸で最も時代錯誤な独裁者の一人と、新たに関わり合いを持とうとしている。
10月9日日曜日、29年前に絶対的な支配権を獲得したポール・ビヤは、カメルーンの人びとの前で6選を果たした。過去の大統領選がそうであったように、また、他のフランサフリックの独裁者たちがするのと同様に、下工作が入念に行われたため、政権交代を達成するいかなる機会も生まれることはなく、自動的に政権が継続するための取り組みが新たに行われた。それは、反対派――現体制によって既に大きく分裂させられたり、買収されたりしていた――に十分な時間を与えず、彼らの一部を排除するために、投票日までの準備期間をわずか6週間にすることである。投票日前の数日間は緊張が高まった。10月4日には、学生の組合活動家1人と、反対派政党の活動家17人が逮捕された。彼らのうちの何人かの消息は不明なままである。正式な投票結果は、遅くとも10月24日には最高裁から発表されるが、主な諸野党は不正行為の証拠資料を提出し、投票結果の無効化を要求している。
こうした状況の中、ポール・ビヤによる不正行為を事前に知っていたにもかかわらず、フランス政府が今回の選挙を「容認できる」――
アラン・ジュペは10月11日に国民議会でこう述べた――と見なしたことは、全くもって言語道断である。
今年の8月31日、フランス人大使たちを前に、ニコラ・サルコジは次のように白状していなかっただろうか? 「『安定性』の名の下で、フランスは民主主義の模範とはいえなかった体制とつながりを持っていました」。ここでは、これまでの教義から抜け出す必要性が明らかに認められているといえる。
ベン=アリー政権に「フランスの治安維持部隊の、世界中に認められたノウハウ」の提供を持ちかけたミシェル・アリヨ=マリーは辞任に追い込まれたというのに、独立以来2人の大統領しか誕生しなかった国における民主的要求を、フランスの大臣が手の甲で払っているというのは容認し難い。2008年2月、カメルーンでは、大統領の再選回数の無制限化を拒絶するために、結集した人びとが蜂起した。しかし、フランス式のノウハウと、フランス製の軍需品によって彼らは徹底的に鎮圧され、100~150人の死者をだした。
チュニジアに対してもそうであったように、カメルーンとの関係は、フランスの経済的、戦略的利益を守るための、警察・軍事協力の上に成り立っている。
だからこそ、外務大臣は、「軍事協力に関して、カメルーンは私たちの世界一のパートナーです」などと
堂々と口にすることができるのである。
UMP(国民運動連合)のミシェル・テロによると、協力のための費用は「およそ400万ユーロ」にのぼる。また、フランス=カメルーン間の新たな防衛協定の枠内で、この軍事協力は維持され続けている。フランス軍が秘密裏に先導した、独立戦争での残虐行為にその萌芽がみられる(※注)この協力関係には、
「治安維持」技術を教育するという重要な側面も含まれる。
一刻も早く、この犯罪的偽善行為を中止させ、カメルーン政府へのフランスの全面的支持にピリオドを打たなければならない。罷免されることのない独裁者の政権を維持することになった、2010年のトーゴ大統領選および2011年初めのチャド大統領選を支援したEUもまた、ビヤへの支持をやめなければならない。ビヤ政権に従属しているにもかかわらず、公正な選挙を組織していると見なされているELECAM(「カメルーン選挙」)という組織に財政援助をしているEUは、フランサフリックの新しい長老に不当な正当性を与えている。
従って、スュルヴィは以下のことを要求する。
・この見せかけの選挙を、
フランス当局およびEU当局が公式に非難すること。
・カメルーンとの
あらゆる軍事・警察協力を即座に停止し、カメルーン独立戦争に関わったフランス軍の機密文書を公開すること。そして、アフリカにおけるフランスの軍事・警察協力の全容解明のための議員調査委員会を設置すること。
※注:事実、現在行われている鎮圧方法は、カメルーンの独立運動家たちへの鎮圧手段を手本としている(『カメルーン! フランサフリックを生んだ隠された戦争』マニュエル・ドメルグ、トマ・デルトンブ、ジャコブ・タツィツァ著、2011年、La Découverte.)。
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