Billets d'Afrique et d'ailleurs 165号(2008年1月)
暗雲漂うアフリカ
アフリカにとっての不吉な前触れの下で、2008年が始まりを告げるようだ。そこは、最も多くの紛争と貧困が互いに結びついた大陸である。内戦の時代は、その戦いに関係する外国の介入の時代とともにやってきた。アフリカは、政権が残忍な派閥の抗争によって争われる、統一のないままに新興諸国を蝕んでゆく、これらの紛争にとって寛大な土地である。そうした紛争は私たちが1994年にルワンダで見たような、おぞましいジェノサイド(集団殺戮)のエピソードを引き起こしうるだろう。
コンゴ民主共和国東部は10年以上前から、一般市民への一連の残虐行為を伴った、あらゆる立場の武装グループ間の永続的な戦いの生け贄となっている。おそらく最悪なことは、MONUC(国連コンゴ民主共和国ミッション※1)とよばれる国連の最も重要な介入ミッションの存在が、武装解除された犠牲者たちを保護する力を持たないということだろう。400万人以上の人々が既に命を落としており、解決への試みは次々に失敗している。実際のところ、多くの人々を殺し、彼らを貧困に追い込む戦争は、かつて一度もこれほどまでに繁栄することのなかった、高価な鉱石開発にとってはむしろ好ましいものである。
スーダン南部は、1983年から20年以上にわたり、200万人の死者を出しながら激しく鎮圧された反乱を経験した。自治を認める2004年の協定の後も、南北間の戦いは再び繰り返される可能性がある。2003年から紛争はダルフール(※2)で猛威をふるい、20万人の死者をだした。そこでもまた、あらゆる協定の試みが挫折している。MINUAD(国連・アフリカダルフールミッション※3)という、国連・アメリカの混合戦力が2008年1月1日から展開しはじめるが、彼らは保護しなければならない莫大な領土をカバーするだけの設備・物資を欠いている。
ソマリアは大混乱に陥っている。モガディシュ(※4)はもはや廃墟でしかない。住民たちは周辺地域のキャンプに身を置くために街を捨てた。彼らはイスラム法廷政府に対抗する暫定政府再建のためにやってきて、未だ首都を占領しているエチオピア軍による暴行・略奪を逃れたのだ。2007年1月には、逃亡中のイスラム法廷政府軍を壊滅させるために、アメリカの航空機が二度にわたりソマリア南部を空爆した。アメリカの派遣部隊、AMISOM(アフリカ連合ソマリアミッション※5)が昨年から展開を試みている。
チャドと中央アフリカでは、反乱が現政権を脅かしている。弾圧的な治安維持は、チャドに重要な兵士派遣部隊を持ち、ビラオ空港を再び制圧するために中央アフリカへパラシュート部隊を送ったフランスの支援により保障されている。両国とスーダンの国境を安定させなければならないEU多国籍軍(EUFOR)は中々配備されない。
ニジェールのデルタ地帯の石油産出地域において、ナイジェリアは未だにMEND(ニジェールデルタ地帯解放運動※6)という軍事組織のゲリラと対峙している。MENDの野望は、現地の人々には利益をもたらさない石油開発を停止させることである。
マリ、そしてとりわけニジェールは、トゥアレグ族(※7)の反乱と戦っている。コート・ジボワールは内戦に終止符を打てないでいる。結局ケニアでは、100人近くの死者を出した、異議申し立てのための選挙が大荒れした(※8)余波がニュースになったところだ。現地の暴君たちは至る所で権力にしがみついており、自分たちの国を貧困に追いやっている。
何にもまして、追従的なアフリカ悲観論者たちに引きずり込まれたままではいけない。私たちはあちらこちらで、アフリカの本当の敵たちに対抗して連帯するアフリカの人々の意思を表明する声を聞き、闘いを注視している。これらの声や闘いが、終に喧騒の真ん中で関心を集めることを願おう。
(オディール・トブネル)
※1:Mission de l'Organisation des Nations unies en République démocratique du Congo
※2:スーダン西部の地域。現在、アラブ系民兵ジャンジャウィードと非アラブ系アフリカ黒人反乱に関わるダルフール紛争が継続している。ダルフール紛争での近年の死者は約20万、難民は数百万に上る。
※3:Mission conjointe des Nations Unies et de l'Union africaine au Darfour
※4:ソマリアの首都。
※5:African Union Mission to Somalia
※6:Mouvement pour l'émancipation du delta du Niger
※7:アルジェリア、リビア、ニジェール、マリなどのサハラ砂漠やその南のサバナに住む、ベルベル語を話す遊牧民。人口約90万人と推定される。
※8:2007年に大統領選挙が行われ、同年12月30日、選挙管理委員会はキバキ大統領の再選を発表。これを不服とした野党勢力が行った抗議行動が暴動に発展。多くの死者が出た。
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