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フランス=アフリカ関係/フランコフォニーを考えるためのブログ

   

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アフリカのアレヴァ社――フランス原子力政策の裏側 4

AREVA en Afrique - La face cachée du nucléaire français(2012年2月)

img170.jpg【←画像の解説】(上から)
アルジェリア
:1960年から1966年までのあいだに、フランスの核実験が17回行われた。
ニジェール
:北部のアガデス州にあるアーリットでは、40年前から10万トン以上のウランが採掘されている。イムラレン鉱山の開業は、2009年から延期され続けている。
セネガル
:2008年から探鉱が行われている。
中央アフリカ
:1970年代まで西部の町バクマ行われていた採掘が、2006年にフランスがウランを購入したことで再開されることになった。しかし、その計画は凍結されたままである。
コンゴ民主共和国
:アレヴァ社は2009年、国内全土というかつてない規模の探鉱許可を秘密裏に取得した。
ガボン
:1961年から1999年まで、東部ムナナの鉱山で採掘が行われた。現在、町は深刻な放射能汚染を被っている。アレヴァ社は採掘再開の可能性を示唆している。
マダガスカル
:1953年から1960年まで採掘が行われた。
ナミビア
:中部にあるトレッコピー鉱山が、世界で最も大規模な露天掘り鉱山の一つになるといわれている。その特性は、低含有率のウランと、鉱石加工のための淡水化プラントの設置にある! しかし、計画は凍結されたままである。
南アフリカ
:1961年から、フランス政府は国内にあるウランと引き換えに、アパルトヘイト国家による原子力の平和・軍事利用計画に協力し続けている。例えば、ナミビアでの採掘は南アフリカが管理することになっている。一方で、アレヴァ社は2基の原子炉を管理し、EPR(欧州加圧水型炉)の建設も狙っている。
 
※右下の凡例(上から)
・過去に採掘が行われていた場所(=中央アフリカ、ガボン、マダガスカル)
・現在採掘が行われている場所(=ニジェール)
・採掘が計画されている場所(=セネガル他)
・核実験が行われた場所(=アルジェリア)
・稼働中の原子力発電所
(つづく)
 
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アフリカのアレヴァ社――フランス原子力政策の裏側 3

AREVA en Afrique - La face cachée du nucléaire français(2012年2月)

img169.jpgフランス統治下の独立
1960年のアフリカ諸国独立の際、ニジェールやガボンといった旧植民地とフランスとのあいだで締結された防衛協定は、フランスの国益を保護するための、原料や戦略資源の「優先的確保」とよばれる条項を含んでいた。
 
アレヴァのフランサフリック組織網
コジェマ社に続いてアレヴァ社も、公式・非公式を問わず、フランサフリックの組織網を利用し続けている。
元外交官たちが、鉱山会社のトップに立っている。ジャック・フォカールの臣下で、ガボン大使だったモーリス・ドロネーは、1979年から1989年までコミュフ社(訳注:ガボンのウラン鉱山会社)の社長を務めた。また、大統領府アフリカ担当室の古参であったドミニク・パンは――当時、後にアレヴァ社のCEOとなるアンヌ・ローヴェルジョンがフランソワ・ミッテランの下で働いていた(訳注:ローヴェルジョンは、ミッテラン政権で国際経済・貿易担当特別補佐官を務めた)――、2007年にニアメ(訳注:ニジェールの首都)でウラン価格の改定交渉がおこなわれた際、アレヴァ・ニジェール支社の代表となった。
常連の仲介人たちが、ヨーロッパから派遣されている。パトリック・バルカニー(訳注:UMP所属。オー=ド=セーヌ県ルヴァロワ=ペレ市長)は、とりわけ中央アフリカで密使として暗躍している。ベルギーの企業家ジョルジュ・フォレストは、コンゴ民主共和国で「カタンガ総督」(訳注:「カタンガ」はシャバ州の旧称)の異名をとる。
元軍人や秘密警察たちも派遣されている。2007年、ウラン鉱山の治安維持をおこなう民間企業エペ社からニジェールに派遣され、ニアメのフランス大使館で防衛官を務めるジル・ドナミュールは元陸軍大佐である。
 
1974年、ニアメ:原子力のためのクーデター
1967年からフランスは、ニジェールのウランを破格の安値で購入し続けていた。1973年に石油危機が起こり、原子力政策を加速させる方針が決まると、アマニ・ディオリ大統領(訳注:ニジェール初代大統領)はフランスに対し、ウラン価格を引き上げるように要求した。歴史家のガブリエル・ヘクトは、「ニジェールがフランスの巨大な原子力産業に貢献できる力を持っていると考えていたディオリは、その代わりに、フランスがニジェールの開発援助に莫大な資金を投入すべきだと主張した」と指摘している。そして、フランスとニジェールとの関係は緊張する。1974年4月14日の夜から翌15日にかけ、アマニ・ディオリはセイニ・クンチェ(訳注:当時の国軍総参謀長)が起こした軍事クーデターの犠牲者となる(訳注:ディオリは6年間投獄され、その後も7年間自宅軟禁におかれた)。実行前、このクーデターの首謀者たちは、間違いなくフランスからの支援を受けていた。というのも、二国間の防衛協定があるにもかかわらず、クーデター開始前から軍事介入拒否が発表されるまで、現地のフランス軍は反乱軍の動きを黙って見ているだけだった。
 
2009年~2010年:ニジェールでの権益保護
2007、ニジェール大統領ママドゥ・タンジャは、採掘権を自由化した。こうして、投資家間の競争が、とりわけアレヴァ社が狙っていた国内最大のイムラレン鉱山をめぐって激化する。アレヴァ社がこの鉱山を手に入れるためには、高騰したウラン価格を受け入れなければならなくなったのである。
2009年3、憲法の定めに逆らって三期目を務めようとしていたママドゥ・タンジャに対する異議申立てがニジェール国内で高まる中、ニコラ・サルコジはイムラレン鉱山の契約に「秘密裏にサインする」ために、アレヴァ社長とともにニアメを訪問する。これが契機となったのは明らかであろう。フランスはその国益のために、ニジェールの人びとの権利を踏みにじることで、タンジャの再選を合憲的なものと認める。しかし、ニジェールとの外交関係は長続きしなかった。
2010年2月18、軍事クーデターによってタンジャは失脚する。その直後、アラン・ジョワイヤンデ協力担当大臣は、「アレヴァ社がニジェール政府および現地の人びとと築いてきた、長きにわたる協力関係が悪化することは絶対に有り得」ないと述べた。フランス政府は、大統領に対するクーデターが準備されていたことをはっきりと察知していたにもかかわらず、軍人たちの行動を止めようとしなかったのだった。なぜなら、ママドゥ・タンジャが、ニジェールのウラン鉱山の採掘権を、フランスの競争相手である中国やイランにまで広げようとした最初の人物だったからである。
(つづく)

アフリカのアレヴァ社――フランス原子力政策の裏側 2

AREVA en Afrique - La face cachée du nucléaire français(2012年2月)

抜本的に見直された原子力産業
 投機によってウランの価格が高騰した2005年から、アレヴァ社はとりわけアフリカにおいて、自社の採掘権を拡大しようと目論んだ。表向きには政治家たちから、裏ではフランサフリックの組織網からの支援を受け、アレヴァは中央アフリカ、ニジェール、コンゴ民主共和国、セネガル、さらにはナミビアでも、秘密条項を盛り込んだ新たな契約を勝ちとっていった。
 
しかし、アレヴァ社の潜在的利益が原子力市場で抜本的に見直されると、大がかりな数々の採掘計画は凍結され、改めてその収益性が議論をよんでいる。
 
つまり、関係諸国への経済的影響など無視されていたのだった。このことは、フランスの企業によるウラン開発がもたらす経済発展という約束がまやかしであったことを明らかにしている。
 
そうした国ぐに対する軽蔑的な態度は、現在のところアレヴァ社の筆頭株主となっている、フランス政府のそれでもある。民営化ではなく、「資本を開放する」計画のなかで、間違いなく真っ先に二束三文で売りに出されるのは、最も収益性が高いとされているアレヴァ社の鉱山部門である。つまり、最悪な事態は、この企業が徹底的に最大限の利益をあげることや、投機という運を天に任せることだけを考え、株主にのみ仕えるようになった時に訪れる。これが今、フランスによるアフリカでのウラン開発という悪行を終わらせなければならない理由である。

img168.jpg 【画像の解説】
ウラン開発担当機関の変遷
1945年:CEA(原子力庁)創設
⇒原子爆弾製造を秘密裏におこなうことを目的としていた。
1976年:COGEMA(コジェマ)創設
⇒CEAが100%出資する企業。採掘から再処理まで、核燃料サイクルの全てを引き受ける。
2001年:AREVA(アレヴァ)創設
⇒核燃料製造を担当するコジェマと、原発建設を担当するフラマトム社(Framatome)とが合併してできた企業。
(つづく)

アフリカのアレヴァ社――フランス原子力政策の裏側 1

AREVA en Afrique - La face cachée du nucléaire français(2012年2月)

「フランスに石油資源はありませんが、原子力があります」
我が国の「エネルギー自立」の名の下で、40年前から原子力開発が正当化されている。しかし、2001年に国内最後のウラン鉱山が閉鎖される以前から既に、フランスの原子力発電所の燃料の大部分は輸入されていた。現在は完全に輸入に頼っている状態である。エネルギー源が多様化しているにもかかわらず、アフリカの地下資源は歴史的に、そして今日もなお、我が国の原子力発電所を稼働させるために不可欠なものとなっている。
 
ここでいうエネルギー自立とは何だろうか? 指導者たちにとってそれは単純なことである。フランスの旧植民地の地下資源を旧宗主国のものとして維持し、相場からは考えられないくらい破格の安値でウランを購入し続ける方法をつくればいいのだ。
 
img167.jpgそうしたやり方が、フランスのウラン備蓄政策と、それを具体的にすすめるアレヴァ社(旧コジェマ社)という企業の活動を支えてきた。トタル社(Total)に買収されたエルフ社(Elf)を通じて石油備蓄をすすめたように、ガボンとニジェールにあるフランスのウラン鉱山の治安を維持するために、エリゼ宮(大統領官邸)のアフリカ担当室はクーデターを後援し、自国民を養うよりもフランスから利益を得ることに熱心な、「親フランス」の独裁政権を献身的に支援してきた。
 
フランスの「エネルギー自立」と称されるものは、こうした犠牲の下で実現されている。一方にとっての「自立」は、他方にとっては主権の剥奪と貧困である。
(つづく)

アレヴァ社(ウィキペディア)
 

フランサフリック:変化はいつ訪れるのか?

【声明】(2012年5月15日)

arton4231-d3bd9.jpg無礼かつ横柄なアフリカ政策をすすめたニコラ・サルコジの5年間は、象徴的なものであり続けるだろう。フランソワ・オランドが、就任演説において植民地主義者ジュール・フェリーに対して醜聞に値する賛辞を捧げ、反響を広げる中、「フランサフリックに終止符を打つ」という社会党の大統領の公約がどうなるのかを考えずにはいられない。
 
フランソワ・オランドは、「フランサフリックに終止符を打つ」つもりであることを表明しながら、「変化」はフランス=アフリカ関係にも必要であることを大統領選中ずっと繰り返し、社会党員を含む多くの市民の願いに答え、過去の過ちから距離を置こうとした。というのも、フランソワ・ミッテラン大統領(訳注:在任期間:1981年-1995年)、次いで保革共存政権のリオネル・ジョスパン首相(在任期間:1997年-2002年)の下で、社会党の有力者たちは、旧植民地に対するフランスの支配力を維持することに十分貢献し、前政権の受益者をそこから排除しただけで、フランサフリックという犯罪システム自体は何も変えなかった。1990年にラ・ボールでおこなったうわべだけの演説に反して、フランソワ・ミッテランはこのシステムを維持し、最大限に利用しさえした。つまり、ツチ族のジェノサイド(集団殺戮)に代表される犯罪への荷担に、フランスを巻き込んだのである。過去を忘れようという意志があったとしても、実際のところ、社会党の内部では何人もの人物が未だにフランサフリックの組織網とつながっており、大統領戦では、党の有力者たちが、公然とアフリカの独裁者たちを連れ歩いていた。
 
政権が変わるたびにフランサフリックとの断絶が発表されるという伝統には、これまでに二つのやり方があった。一つは、責任を逃れるというパターン、もう一つは、それが束の間の約束におわるというパターンである。この異常な「不幸」がついに終わることを願って、スュルヴィはとりわけ、フランソワ・オランドがはじめに取りかかる活動に、また、その政府が最初に掲げる政策に注意を払いたい。
 
・フランソワ・オランドが公約したエリゼ宮(大統領官邸)のアフリカ担当室の廃止だけでなく、外交政策に関する議会権限の強化をどのようにおこなうのか?
 
・独裁者の公式訪問と、見せかけの選挙を有効と認めてきたことについて、どのような立場をとるのか? つまるところ、独裁的な体制との外交関係をどのようなものにするのか? 大統領選中、フランソワ・オランドの協力者たちは、非合法的に選ばれた指導者たちと公然と交流していた。セゴレーヌ・ロワイヤルは2011年11月にブレーズ・コンパオレ(訳注:ブルキナファソ大統領)と、ローラン・ファビウスは2012年2月にアリー・ボンゴ(訳注:ガボン大統領)と、さらに、ジャン=ルイ・ビアンコは2012年4月にアラサン・ワタラ(訳注:コートジボワール大統領)と会談している。
 
・アフリカでの軍事活動と軍事プレゼンスを見直すつもりなのか? 社会党は2011年のコートジボワールとリビアにおけるフランス軍の介入を支持している。
 
・国家の最高幹部たちが、半世紀以上にわたる新植民地主義的な犯罪行為にかかわってきたことを示す記録文書から、国家機密扱いのものを廃止するつもりがあるのか? それらは、罰せられない犯罪の謎を解くための手がかりとなる情報である。社会党やその他複数の左派政党が担った政権は、トマ・サンカラ(訳注:ブルキナファソ第5代大統領。1987年、コンパオレが企てたクーデターによって暗殺された。)の暗殺、ルワンダでのフツ族によるツチ族のジェノサイド(訳注:1994年)、ボレル判事の殺害(訳注:1995年10月19日にジブチで起こった、「ベルナール・ボレル事件」と呼ばれる殺人事件。)に、フランス政府が荷担していたことを隠蔽した。
 
・堕落・腐敗した開発援助から、富の再配分と公共の利益という考え方に移行するために、どのような行動をとるのか?
 
CFAフランに対する立場をどのようなものにするのか? ミシェル・ロカール(訳注:社会党所属。1988年から1991年まで首相を務めた。)は、CFAフランを下落させた最初の人物であり、それは、1994年のバラデュール政権で決定的なものとなった。
 
・ニジェール北部を荒廃させているアレヴァ社(訳注:ウラン採掘に伴う放射性廃棄物による汚染が深刻な問題となっている。昨年、アーリットにあるウラン鉱山で「原因不明」の死者が続出していることが報道された。フランスの原子炉はほぼニジェールのウランを燃料としている。)に代表される、フランス企業による公的資金の不正利用にどう取り組むのか?
 
・新大統領が、国家による植民地化とレイシズムをすすめた先駆者であるジュール・フェリーに賛辞を捧げた今、「魂を脱植民地化する」意志が本当にあるのか?
 
スュルヴィは新政権に対し、以下の5つの点を要求する。これらは、フランスのアフリカ政策を人びとに開かれたものにするための第一歩となるであろう。
 
①外交政策に関する共和国大統領の「特権」をなくす。
 
②独裁者への政治・外交支援を停止する――とりわけ、大統領官邸での会談、現地への訪問、不正選挙での彼らの「勝利」を認めることをやめる。
 
③アフリカの軍事基地を閉鎖し、国連の管轄下でおこなわれている――前任者の任期中に配備された――軍事活動を停止する。
 
④CFAフランのシステムから脱退し、為替準備金を返還することで、CFAフラン圏の国家に通貨主権を譲渡するプロセスを開始する。
 
⑤司法による最終解決のために、フランサフリックの犯罪に関する記録文書の、とりわけ、ルワンダでのツチ族に対するジェノサイドにフランスが荷担した問題について、国家機密となっている部分を公開する。

連絡先(スュルヴィ):ステファニー・デュボワ・ドゥ・プリスク
01 44 61 03 25 stephanie.duboisdeprisque(a)survie.org
 

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