2011年3月11日(スュルヴィ)
24年間の独裁とその放置を経て、ブレーズ・コンパオレ体制に対するブルキナファソの若者たちの怒りの爆発が国中で広がっている。デモが拡大し、権力のシンボルに火がつけられている。歴史に逆らい、「フランス好きの」独裁者のひとりを支援し続けながら、フランスの外交政策は新たに自らの評判を落とす危険を冒している。
2月20日、クドゥグで警官の暴虐によって中学生が殺され、人々の怒りに火がついた。脳膜炎で死亡したという公式発表の後、若者たちは反乱を起こした。2月22日以降、暴力的に鎮圧される抗議行動が国中のあらゆる市町村で相次ぎ、現在は首都でも行われている。鎮圧は何人もの死者を出した。ワヒグヤ、ヤコ、クペラ、レオ、ドリ、グルシー他の各都市で、若者たちは警察署や、また時折現政権の政党事務局と県当局の建物にも火をつけた。
こうした動きは、政権交代をもはや信じられなくなった人々によるやむを得ない抵抗である。クーデターによって政権を奪取したブレーズ・コンパオレは、24年前から不正選挙を繰り返し、政権の座に留まり続けている。11月に行われた疑惑の多い投票の結果、人口1600万人の国でたったの150万票(有効投票数の80%!)を獲得して「再選された」(
2010年11月26日付記事)彼は、永遠に大統領の椅子を守り続けることができるように、憲法を修正するつもりでいる。1982年から権力の座にいるポール・ビヤ(訳注:カメルーン大統領)やドニ・サスヌゲソ(訳注:コンゴ共和国大統領)と並び、彼は寿命の長かったベン=アリー体制をこえる、フランサフリック・ネットワークの最年長者と見なされている。政治および組合システムが中々定まらないという、こうした不安定な状態は、23年間にわたって政治的な犯罪が罰せられずにきたことから生じた、当然の結果でもある。そこには、明らかにされていない政治的暗殺(1998年にジャーナリストのノルベール・ゾンゴが暗殺された)があり、行方不明となった組合や学生の指導者たちがおり、学生や高校生たちのデモへの暴力的かつ組織的な鎮圧がある。1987年の暗殺事件の真実を知るために、トマ・サンカラ元大統領の家族によって始められた訴訟手続きは、今日いかなる成果も生んでいない(
2010年2月1日付記事)。
フランス当局は今日まで、自らの影響力の拠点を現地に置くために、この犯罪的権力への支援を絶えず続けてきた。昨年7月14日、大領領府に特別待遇で招かれたブレーズ・コンパオレは、AQMI(イスラーム・マグレブ・アル=カイーダ機構)との闘いという口実の下、フランスの緊急精鋭部隊の派遣を好意的に受け入れている。彼はまた、我々がこれまでにも経験してきたように、フランスの友人たちから、地域に平和をもたらす人物として紹介された。しかしながら、彼はコートジボワールでは好ましくない人物である。というのも、現在アラサン・ワタラ(訳注:昨年12月以来、ローラン・バボと共に、自らがコートジボワールの大統領であると主張し合っている)とつながりのある反逆者たちをずっと以前から支援し続けてきたと疑われているからである。この事は、
ウィキリークスによって明らかにされつつある。シエラレオネの特別裁判所では、水曜日に検察が、ムアンマル・カダフィと同様にブレーズ・コンパオレも、アフリカ大陸で最も凄惨な紛争の一つにおいてチャールズ・テーラー(訳注:リベリアの政治家、元大統領)を支援していたことを認めた(
参照サイト)。長い間ブルキナファソでの鎮圧を組織してきた大統領警備隊隊長、ジルベール・ディヤンデレは、2008年にニコラ・サルコジからレジオンドヌール勲章を授与された。
ブルキナファソの若者たちによる行動は、独裁者たちに対する革命運動がマグレブ諸国や中東だけのものではないこと、アフリカの最悪な独裁者たちを平然と支持しながらフランスが促進し続けてきた「安定論」(
2011年2月17日付記事)が、許し難い政治的犯罪である上に、戦略的に行き詰まっていることを明らかにしている。大統領府が先月治安当局の代表にレジオンドヌール勲章を授与したコンゴ共和国(訳注:
参照記事)から、当局が1月末からの人々のデモを暴力的に鎮圧し続けているジブチ(訳注:
参照記事)まで、アフリカの人々は、フランスが独裁者に「ノウハウ」(訳注:
参照記事)を伝授するのをやめるよう期待している。
スュルヴィは、過ちの歴史が繰り返される前に、フランスがこれらの体制とのあらゆる軍事・警察協力を終わらせるよう、引き続き政府に呼びかける。
連絡先:ステファニー・デュボワ・ドゥ・プリスク
stephanie.duboisdeprisque(a)survie.org 01 44 61 03 25(フランス)
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