De la Françafrique à la Mafiafrique
(2004年10月1日、フランソワ=グザヴィエ・ヴェルシャヴ著)
※ 以下の本文は、2003年12月3日、l’espace Renaudie d’Aubervilliers(セーヌ・サン・ドニ県)に於いて、200人の教員及び研修中の講師を前にして行われた講演会と討論会の模様を、ジュディット・シペルがテクストに起こしたものである。
この講演のテーマをお話する前に、簡単に自己紹介をしたいと思います。私は1984年から、126人のノーベル賞作家たちの呼びかけによって創設された、「シュルヴィ(Surivie)」という組織で活動しています。彼らは、世界の飢餓や貧困と戦う問題は、単にチャリティーだけでなく、集団行動の問題であると述べました。ところで、集団行動とは一体何でしょうか? それは政治的な決断です。従って、私たちは10年間、フランス人たちの寛大さ、つまり発展・開発のための公的援助――それは当時の約400億フランに相当していました――を、人々を苦痛や餓え、極度の貧困から解放する為に本当に役立つ、少しは目的を持ったものにするために戦ってきました。私たちは混交するあらゆる派閥を越え、この公的援助を根底的に変えるための法律を廃案にした議員たちの4分の3をひとりひとり説得しました。しかし、この法律は多くの支持者がいたにも関わらず――そこには、自分たちが納めた税金がそれでも何かの役に立ってほしいと願う、1部・2部リーグ所属のフランス人サッカー選手も含まれていました――、決して議事日程に上ることはありませんでした。そして、私たちは少しずつ、この問題の中にその存在を認めていた贈収賄行為が、周辺的ではなく中心的なものであることに、そして、このフランス=アフリカ関係の後ろには、全く以って信じられない経済的犯罪があったことに気が付きました。
1994年、フランスの支援によってルワンダでジェノサイド――恐ろしい状況の中で、3ヶ月の間に100万人が殺されました――が行われ、次いで国内南部で大量の人々を虐殺し、飢餓に導いたスーダン政権を支持するザイールで独裁者モブツが復権し、そのことによって私たちはこの経済的犯罪が、想像を絶するような政治的犯罪も兼ね備えていることに気が付きました。そして当時、全ての事実を前に――解決には10年は必要だと考えていました――、私たちは沈黙することができませんでした。なぜなら、医療の基本原則、つまりヒポクラテスの誓いは、治療を始める以前に「何よりもまず傷つけないこと」だからです。ところが、皆さんもご存知のように、私が「フランサフリック」と呼び、新植民地主義の馬鹿げた模倣であるところのこのフランス=アフリカ関係は、実に有害な政策です。
従って、まずみなさんにお話するのは、独立以降のフランス=アフリカ関係、つまりこのフランサフリックなるものについてです。そして、その誕生や働きについて、いくつかの時期を飛ばしながら述べたいと思います。というのも、そうしなければ時間が余りにかかってしまうからです。全てを語ることは、私たちが刊行した夥しいページに及ぶ書物や資料を語ることを意味します。次に、私たちがフランサフリックからマフィアフリックへの移行期と呼ぶ、フランス=アフリカ関係の今日的進展についてお伝えします。それはつまり、この犯罪的関係の一種のグローバル化です。従って、私は財政的犯罪のグローバル化についてお話します。そして最後に、これまでの歴史の中で私たちが国家的規模で公共の利益を築き上げてきたという記憶をもっていること、また今日、そこには我々が望む空想的でない一つの解決策、即ち地球規模での公共の利益の構築しかないということを証明しながら、とてもポジティブな考察で講演を終えたいと思います。しかし実際には、現存する公共の利益を破壊することに時間を費やす財政的犯罪と、革新され拡大した公共の利益の構築の可能性との間には、実にはっきりとした対立関係があることをお伝えすることになるでしょう。私たちはすでにこのような構造の中にいますが、私たちが後者を作ることは可能です。講演の後、みなさんはきっといくつかの疑問を持たれることでしょう。