フランス=アフリカ関係/フランコフォニーを考えるためのブログ
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Billets d'Afrique et d'ailleurs 224号(2013年5月)
カメルーン北部で誘拐され、ボコ・ハラム(訳注:サラフィー・ジハード主義組織)の活動家によってナイジェリアに2ヶ月間監禁されていたムーラン=フルニエ一家の解放を嬉しく思う。しかしながら、この結末を勝利であるかのようにみなしたり、ましてやカメルーン大統領ビヤの立ち回りを称賛したりすることなどできないだろう。
解放をめぐる状況にかんする公式発表にだまされるような素直な人間などいないにもかかわらず、メディアはいつもの愚言を垂れ流している。着飾った言葉といえば、イヴ・ボネなどという人物(訳注:1982年から1985年までミッテラン政権下で国土監視局の局長を務めた。)がカメルーンの独裁者についてテレビで口にした次の俗諺である。「悪しき民主主義者よりも、良き独裁者を政権に据えたほうがましだ」。フランスがアフリカのフランス語圏を無秩序状態に至らしめたのは、こうした「原則」に基づいた彼のアフリカ政策である。
しかしながら、彼の言葉は疑いなくレイシスト的なものである。我が国に押しつけられた一つの同じ「真実」は、いっせいに抗議の声を呼ぶのではないだろうか。後継者を完全に失った政治やメディアの特徴であるこうした忌まわしいイデオロギーが、この上なく輝いて掲げられている。人質事件によって、このイデオロギーは想像できる限りもっとも峻烈な形で事実を否認する。
ムーラン=フルニエ一家の誘拐は、独裁国家カメルーンが自国の治安をコントロールできないことをまざまざと見せつけてくれた。世界でもっとも腐敗した国として常にランクづけされるカメルーンが、いかにして犯罪行為を阻止することができるだろうか? というのも、この国もまた事件の張本人であり、あらゆる分野が、とりわけ治安部隊が腐敗の権化となっているのである。犯罪行為が容認しがたいものになると、凄惨な治安維持活動による対応が主張される。そこでは、たいていは若く貧しい容疑者たちが裁判を経ることなく撃ち殺され、社会制度の中心に置かれた深刻な犯罪性は少しも問われることがない。この忌まわしき体制を支持することは、この国を行き来するフランス人の命を危険に晒すことである。
フランスは人質にとられた自国民の数がもっとも多い国となったが、それは偶然ではない。アフリカでは2月に十数人のフランス人が人質となった。武力による解放の試みは、すべて人質の死という結末を迎えた。もっとも最近の失敗は、フランスの特攻隊(コマンド)による急襲が失敗し、1月12日にソマリアでドニ・アレックス(訳注:対外治安総局の諜報員)が死亡したことである。2011年1月には、ニアメ(訳注:ニジェールの首都)で誘拐されたアントワーヌ・レオクールとヴァンサン・ドゥロリが、誘拐者が乗った車へのフランス軍の空襲で死亡した。こうした人命を奪う襲撃に唯一代わるものは、莫大な身代金を支払うことである。つまり、試みは常に失敗している。
問わなければならないにもかかわらず、誰も問うことのない問題は次のものである。フランスには、アフリカにおいて不幸をもたらそうとするあらゆるもの、絶え間なく増え続けていくようにみえるあらゆるものを消滅させようという意志や手段があるのか? 彼らの国を占領し続けるために、アフリカの人びとの命をさらに奪わなければならないのか? 次の問いも付け加えたい。どうしてこのような状態になってしまったのか?
タンギ・ムーラン=フルニエ一家が解放された時、カメルーンに進出しているGDFスエズ(訳注:電気・ガス事業社)の幹部は彼の「カメルーンの仲間たち」に再会できることの大きな喜びを表明した。一部のカメルーンの人びとを一つにする愛情に満ちた関係を疑いはしないが、現在の状況下では、私たちは個人的な関係をこえたところにいなければならない。すなわち、カメルーンの人びとすべての運命が問われているのである。ニジェールでアレヴァ(訳注:原子力企業)が、カメルーンでトタル(訳注:石油エネルギー企業)やGDFスエズが何をしているのか? どのような環境のもとで、これら多国籍企業によるカメルーンの資源開発がおこなわれているのか? カメルーンの人びとは自由ではなく、彼らの前に立ちはだかる独裁政治と植民地主義の軍隊の単なる人質なのだろうか? そこでは、カメルーンの人びとを不幸から逃れさせようという試みは禁じられ、彼らは自国の大地で囚われの身にされ続けている。
スュルヴィ(2015年1月12日)
シャルリー・エブドの風刺ジャーナリストと、2015年1月7日から9日にかけて犯された襲撃事件の被害者たちの殺人を前にして、スュルヴィとそのメンバーはみな悲嘆にくれている。しかしながら、この惨事にたいする連帯意識の熱狂的な高まり以上に、私たちは選別的な憤慨と、この事件をめぐって現在進行中の、一部の党首、政府の人間、論説記者たちによる政治利用に不安を感じている。
テロリズムとの戦いの名のもとで、すでに最高潮に達し、悪化する可能性がある治安・軍事政策を正当化するための「わたしたちの9.11」という表現。「文明」と「野蛮」という言葉の対置。繰り返し用いられる「戦争」という語。経験的に正当化されるサヘル地域や近東でのフランスの軍事介入。こうした偏向がここ数日のあいだにみられる。フランサフリックとその根底にある新植民地的・レイシスト的イデオロギーと闘うなかで、スュルヴィができることは、専らこうした新保守主義的な言説の爆発的な高まりにかかわることである。
さらに、アリ・ボンゴ(ガボン)やフォール・ニャシンベ(トーゴ)といったアフリカの独裁者たちや、チャド大統領イドリス・デビの大使が、1月11日にパリでおこなわれた行進に参加したことは、私たちには極めて下品なものにみえる。彼らがいつも踏みにじっている表現の自由という問題以上に、マリ大統領とニジェール大統領をふくむ彼らの参加は、アフリカ、とりわけサヘル地域における近年のフランスの軍事介入を正当化する目的をもっていたと推察できる。
1月11日が、テロリズムとの戦いの名のもとで、フランスがマリで戦争を仕掛けてからちょうど2年目であったことを思い起こさなければならない。さらに言えば、政府が国際協力というレトリックを予め使用し、サヘル地域の武装集団がフランスにとって脅威であることを正当化するためにそれを振りかざしたのも、マリにおけるこの軍事介入が開始された時であった。
2年が経過したが、この戦争の目的は達成されなかった。昨年8月以降、サヘル地域5ヵ国にたいするバルハン作戦によって戦争は続けられている。この作戦は憲法違反である。というのも、議会は初めの4ヵ月間をのぞくと、この作戦について議論することもなければ、その継続を決議することもなかったのだ。こうした軍事主義的な政治、アフリカにたいするフランスの介入、とりわけアメリカの新保守主義者によって作り上げられたテロリズムとの戦いの名のもとでの国際的な介入、ますます厳格になる移民管理、そして新自由主義経済に基づいた(社会保障予算や教育に影響を与える)政策によって、(こうした政策を擁護する)世論の先導者である現政府とその前任者たちは、いわば彼らが戦わなければならないと言っているテロリストたちの使命を作り出している。こうした危機的状況は、ここ数日耳にするいくつかの短い決まり文句(訳注:「私はシャルリー」など)に甘んじることのできない、複雑で骨の折れる議論をうながすものである。
賛辞の嵐と、シャルリー・エブドの一部の姿勢にたいする批判が繰り広げられる――それはこの事件を正当化するものではまったくなく、反対に表現の自由のための動員を強化するものである――なかで私たちは、殺された元編集長のシャルブが、2013年1月末のセルヴァル作戦開始後に彼が書いた記事のなかで、マリにおけるフランスの戦争にたいし辛辣かつ炯眼に立ち向かってくれるだろうと思う。彼の死は今、サヘル地域でのテロリズムとの戦いを正当化するために持ち出されている。
『シャルリー・エブド』(2013年1月19日号)に掲載されたもの。「オランドがフランスをマリに介入」「それって彼の公約じゃなかった?」
こうした長期にわたる腐敗状態の必然的結果として起こった内戦が、軍事介入を不可欠なものにするほどフランスのプレゼンスを脅かすことになると、メディアは目的はそのままに戦略を変える。すなわち、公衆の無知を維持するという手法である。責任ある多くのルポルタージュや論争、論評があるにもかかわらず、また、中央アフリカを襲う数多くの軍事介入、ジャーナリストやNGOの介入があるというのに、人びとはこの国の大部分で起こっている出来事をほとんど知らない。それまで誰も踏み込もうとしなかった、首都バンギのバラック街のことすらも伝えられることがない。
そのため、全体の状況を少しでも把握したり、犠牲者数や武装集団の規模を推定したりすることが誰にもできない。廃墟、私刑、国外避難、その他フランスの偵察隊や機甲部隊といったいくつかのイメージだけが、問題と打開策をあらわすものと見なされている。コメンテーターたちは、否応なく常に帝国主義とともにあり、それを支えてきた人種主義的人類学を平然と口にする。国連人権高等弁務官のナヴィ・ピライは報告書のなかで、バンギで起こった私刑事件で確認された死体の状態にかんして、恐ろしいと同時に過剰なまでの詳細を伝えている。「身体の切断が公然とおこなわれている。生殖器や体の他の部分が切断されている。斬首されている。食人行為がおこなわれている疑いがある」。こうした死体の状態が本当なのかはさほど重要ではない。なぜなら、西洋の人びとがもつ人種差別的幻想を維持するために、本来報告されるべきことが隠されていることが何よりも問題だからである。
軍事介入が一度はじまると「旧」植民地は再び抑圧のもとにおかれる。そして、再びニュースから姿を消す。ローラン・バグボの選出(訳注:2000年10月の大統領選)後数年間は紙面を賑わせていたコートジボワールは、アラサン・ワタラがフランス軍の支援を受けて権力を奪取(訳注:2011年4月11日)して以降、再び闇の中へ後戻りした。しかしながら、同国の情勢はメディアの無関心の中で悪化し続けている。この社会に平和がもたらされる日は遠い。800名以上の反体制派が裁判を経ぬままに拘禁され、非人道的な環境におかれている。旧反乱部隊の指導者(訳注:現体制派)たちは、内戦中や選挙後の不安定な情勢の際に犯した罪を問われなかっただけでなく、与えられていた軍司令部のポストにそのまま就いている。恐喝、威嚇、裁判権外の死刑執行など、独裁体制に服従する人びとへの権力の乱用は枚挙にいとまがない。
フランスの世論が、これら2つの国の荒廃にたいするフランスの責任を知るのは容易ではない。こうして、コートジボワールにおけるフランス軍の役割にかんする調査委員会の議員10名からの要求を社会党政権はきっぱりと拒んだのだった。UMP(国民運動連合)と社会党の首謀者たちは、フランサフリックによる惨劇におけるあらゆる行為を、深い闇の中に眠らせておくことで見解が一致している。
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